■ past days ■
「……本気かね? 君は今のままでも充分に価値がある。何も義体化などする必要はないだろうに」 「ヴァルキリーとしての力を失った以上、生身の身体など重石も同然ですよ。私には不要だ」 ――真偶ナユタ、引退後に
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一言で済ませるならば、無敵であった。
『真偶選手、やはり今回も先手を取った! 試合開始と同時に接近し、双剣を叩き付けて相手の武器装甲を次々と砕く!』 『強すぎますね彼女。第一世代機と第二世代機の戦いならともかく、両者とも装備の差はそれほどない筈なんですが……』
黒髪の少女――真偶ナユタが手にした刃を振るう度に、砕かれた装甲の破片が宙に散る。対戦相手の少女は接近戦の間合いに拘束されたまま自由に動けず、連撃の中に時折混じる頭部を狙った一撃を防ぐのだけで精一杯だった。
『対する水蓮選手の表情は苦しい! とにかく必死で防ぐしかないと、そんな表情だ!』 『そりゃ、まあ、そうでしょう』
(なんなのよ、この子はっ……!)
実況解説に水連と呼ばれた少女――水蓮アザミは歯を食いしばり内心で叫ぶ。アザミとて那岐島のエースとして至近戦闘の技量に不足はなく、使用機たるネメシスは取り回しの良い振動剣を備えていたが、今ここで打ち合っている相手は規格外の戦鬼だ。振るう刃の手数と重さもさることながら、何よりも気味が悪いのはその足捌きであった。試合開始と同時に砲弾のように駆け出してアザミの懐へと潜り込み、以後ぴたりと張り付いて離れることがない。
(っ……今度こそ!)
しかし両者の間に相当の実力差があろうとも、ヴァルキリー同士が十合二十合と打ち合えばどこかには後退するか斜め前方に走り抜ける隙が見付かるものだ。故にアザミは何度となく今の間合いから逃れようと地を蹴り離脱を試みていた。
「――逃がさん」
(またなの!?)
アザミが後退せんと大きくバックステップを踏むや、ナユタがアザミの動きに合わせて前方へと飛び出し追いすがる。だが、真実は些か異なる。傍目には逃げるアザミをナユタが追っているように見えるが、当事者たるアザミはナユタによる奇怪な動きを前に恐慌を来す寸前であった。
(どうして私が逃げる前から追ってくるのよ!?)
ナユタの踏み込みはアザミが離脱の初動を起こすよりも常に一瞬速い。アザミが走り出すかステップを踏むのに先んじてナユタは追撃のアクションを始めている。それはアザミの離脱手段、稼ごうとする距離、そして方向まで全てを"予め"把握していなければ到底不可能な、常軌を逸した間合いの制圧であった。
『真偶選手は本日五戦目になりますが、既にそのうち四戦は同じパターンで勝利を収めています。日程が発表された当初は前例のない連戦に真偶選手の勝利を危ぶむ声もありました。しかし……』 『何の問題もありませんでしたな。もうランク一位は確定でしょうか?』 『間違いないでしょう。最終的な順位は法廷の協議待ちとなりますが、今日だけでもシングルランカーを二人倒していますので……』 『登場から一年半、これで無敗のまま王者になるということですか。ナンバーナインも笑いが止まらんでしょうな』 『ヴァルフォース開始以来のここ数年で被った損失を彼女の働きで全て帳消しにしたと言われてるくらいですからねえ……』
鈍さを伴った一際大きな剣戟の音が試合場に響く。ナユタが横薙ぎに払った刃でアザミの剣が根本から完全に折れ、分かたれた刀身が回転しながら遠くへと飛んでいく。そして剣が折られたことに動揺したアザミの隙をナユタが見逃す筈もなく、矢継ぎ早に振り下ろされたナユタの刃はアザミの身体を強かに打ち据えた。
『あーっと、そうこう言っている内に真偶選手の剣が水蓮選手にクリーンヒット! 水蓮選手倒れた! 起き上がる様子も……ありません!』 『……今日、真偶選手と戦った中では一番長く立ってはいましたね』
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「あ、終わった」 「強いねー、あの子」 「貴方達……またヴァルフォース観てたの?」
教室へと入ってきた少女が、机上のデバイスから投影される立体映像に見入っていた少女達へと声を掛ける。
「うん。下手なスポーツよりは面白いしねー」 「アヤカはもう進路指導終わったの?」 「終わったわよ。志望は前から伝えていたし、先生に確認だけされておしまいよ」
アヤカと呼ばれた少女は手近な椅子を引いて腰を下ろす。机上に投影される映像は試合中継を終え、次戦に出場する選手のプロフィールや展開予想へと切り替わり目まぐるしく情報を表示し続けている。
「あれ? アヤカはどこ行くんだったっけ」 「士官学校の予定ね。試験にパスすればだけど」 「ほへー」 「アヤカなら余裕でしょ。文武両道の優等生だし」 「ということは軍人さんかあ……ね、もしかしたらヴァルキリーになったりするのかなー?」 「ないでしょそれは。そもそもヴァルキリーとしての素質に職業なんて関係ないわよ」
アヤカが級友の言葉にあっさりと否定を返す。ヴァルキリーとしての素質が発現するか否かは運次第というのが一般的な常識だからだ。
「……いや、案外あるかもよ?」 「どうしてよ?」 「だってアヤカ顔はいいじゃない。ちょっと野暮ったいだけで」 「そだねー、ヴァルキリーの女の子って大抵は可愛い子か美人さんだもんねー」 「あのねえ……」
半ば呆れ顔でアヤカは眉間を揉む。確かにヴァルキリーの娘は世間の基準に照らし合わせて顔立ちが整った者ばかりというのも一つの真実だった。だが、人類全体で見れば見目麗しい娘など掃いて捨てるほど居るものだ。隕石が自分に向けて落ちる確率が一桁小さくなったところで実質的には何も変わらぬのと同じである。
「そんじゃあさ。もし……本当になっちゃったらどうする?」 「どうするー?」 「……そうね」
仮定の質問を投げ掛けられてアヤカが僅かに思案の表情を見せたが、それ以上悩む様子もなくあっさりと答えを口にする。
「別にどうもしないわよ」
アヤカに想像力が欠如しているわけではない。彼女は彼女なりに与えられた仮定を吟味した上での言葉であった。
「ふえー」 「簡単にそう言えるのが凄いわね」 「それほどでも」
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「お疲れ様でした」 「ああ」
試合を終えて選手控え室に戻ったナユタを出迎えたのは居並ぶナンバーナインのスタッフ達だった。
「着替えはされますか?」 「いや、このままで構わん」 「は」
申し出を断り、インナースーツを着用したままのナユタが椅子に腰を下ろす。体格の良い男達がおよそ二十歳にも満たない娘に恭しく接し、頭を垂れる姿はどこか異様なものではあるが、彼らにとってそれはごく自然なことだった。彼らの眼前に居るヴァルキリーはメガコーポたるナンバーナインにとっても最上級の待遇で扱うべき娘だからだ。
真偶ナユタ。三年前に何処からか現れナンバーナインの門を叩き、非合法工作部門の末席に加わった少女。年端に見合わぬ殺人と社交の術を身に付けていた彼女は、ヴァルキリーとしての素質も明らかとするや驚異的と言う他ない働きを示し、既に小国をダース単位で買える程の利益をナンバーナインにもたらしている。名も身分も無きエージェントに過ぎなかった彼女がナンバーナインの企業軍にて士官としての地位を与えられ、下にも置けぬ扱いを受けるのには相応の理由が存在していた。
「大尉殿」 「何だ?」 「前々からお尋ねしたかったのですが……なぜ大尉殿は双剣だけで戦われるのですか?」 「手の内を隠して勝てるのならその方が良い。私が射撃の方が得手だと見せて回る必要もあるまいよ」 「……ご冗談を」 「冗談だと思うか?」
副官に言葉に答えたナユタが薄く笑う。
「……失礼致しました」 「機会があれば見せてやるさ。楽しみにしていろ」
もっとも、一番得意なのは闇討ちだがな、とナユタが笑みを浮かべたまま心中で呟く。時に殺し合いともなった苛烈な修行の日々の中で、スプロールの路地裏で、あるいはヴァルキリーとなってからの戦場で、相手を満足行く形で仕留めることが出来たのは常に背後からの一撃だ。邪道と奇襲を以て敵を制す。それこそが己の最も得意とする領分であることをナユタは充分に承知していた。
「では、そろそろ出るか……ジョシュア、ナセル、アンドレイ、貴様等は先に出て報道陣に道を空けさせろ」 「了解です」
ナユタに名前を呼ばれた特に大柄な男達が控え室から扉を開けて廊下へと赴く。
「まったく……運営部も試合の前後くらいはメディアとの接触を避けられるように配慮してくれないものですかね」 「仕方あるまい。ヴァルキリーは見せ物でもあるからな。完全に遮断すればそれはそれで不満が出る」 「その通りではありますが………大尉殿の本音としては?」 「面倒でたまらんに決まっているだろう」 「そうでしょうな」 「行くぞ」 「は」
ナユタが椅子から立ち上がり、企業軍の制服を着た男達がナユタを護衛するように取り囲む。そうして一つの集団となった彼らは控え室を後にし、ナユタの姿を間近に映そうとする報道陣の波を掻き分けていった。 |