■ happy past days ■
「どうだったかね休暇は?」 「有意義でしたよ。まさか二日で緊急招集を掛けられるとは思っていませんでしたが……」 ――月影アヤカ、上司との会話
--------------------------------------------------- 「兄さん、今日も徹夜ですか?」 「そうなりそうだね」 ここは更科航空宇宙研究所の一室。現在昼夜問わずに明りの灯る、不夜の部屋である。 「夢中になるのも構いませんが、あまり無理をなさらずに……」 「そうだね」 振り向きもせずに気の無い返事を返す男。彼こそが、ヴァルキリーコアの研究者として後の世に多大な影響を残す、黒羽博士その人であった。 「世界初の八発機。夢中になるのも分かりますが……」 そしてめげずに話しかける女性は黒羽ナガレ。黒羽博士の実の妹である。 「そうだね……、ちょっと流石に僕も手こずって……」 「兄さん!!」
「ご老人方はさっさと公開しろってさ。気軽に言ってくれるよなぁ」 八杯目の砂糖を紅茶に入れながら、博士は技術者の悲哀をこぼす。世界初の八発機。ただでさえ未知の領域に手探り状態だというのに、パトロンからは早急なる結果を求められる。いつの世も技術者の苦労は変わらないものだ。 「うん。相変わらずナガレの淹れる紅茶は美味しいね」 「あ、はい。ありがとうございます」 先ほどまで子供のようにふくれっ面をしていたナガレだったが、兄の言葉にすぐに機嫌を取り戻した。だが実際のところ、八杯も砂糖を入れた紅茶に美味いも不味いもあるものだろうか? 彼女が気づかない限り、どうでもいいことではあるが。 「それにしても、一から淹れるの面倒じゃないかい? わざわざ自分でやるとは物好きだよね」 テーブルの上に並ぶ少女趣味なティーセット。今時どこにいけば買えるのか分からない骨董品の類だ。 「過程を楽しむのも良いものですよ?」 誇らしげに胸を張るナガレと、不思議そうな兄。 「そうかい? 効率的に目的に達する方が早いじゃないか」 「そんなことだから、私が放っておくとサプリメントまみれになるんでしょう。それに、普通の人は一を知って十を知りえないものです」 なるほど。両方の言葉を兄は咀嚼する。何もかも効率性と一足飛びを信条とする彼にとって、妹の教えてくれる「普通のこと」は貴重なものであった。 「ところで、テストパイロットが未だ居ないのは問題では」 「そうだね」 また気の無い返事が始まった。彼が考え事を始めた証拠だ。 「やはり私がやりましょうか? データをとるための運用テストくらいなら私でも……」 「んー……。危ないからいいよ」 ここ最近、何度か繰り返している問答だった。博士の考えは変わらない。未熟な妹とはいえ、効率性を重視するなら使うべきだ。だが、彼の珍しく非効率な選択こそ妹への愛情の証であった。 「で、また上の空のようですが?」 眉を顰めるナガレ。 「いや、さっき言われたことを考えていてね」 再び紅茶を口に含む博士。 「つまり、料理は愛情ってことかな」
「シシシ、相変わらず仲が良くて羨ましいなー。ハカセもお嬢も」 気まずい沈黙の中、割って入る声があった。気まずいと言っても、博士の方は単に考え事による沈黙であり、色々心中うずまいていたのは妹だけであるが。 「ミサキくんか。お疲れ様」 どこから現れたのか。突然ひょっこりを姿を現したのは爽涼ミサキ。彼女もまた研究所のスタッフである。 「すいませんね、ハカセ。本当はわたしがテストできればよかったんでしょうけど」 「キミのヴァルキリー適性はもう終わってしまったんだ。天才といえど仕方ないだろう? 研究員として僕の手伝いをしてくれてる。僕はそれがとてもありがたいよ」 信頼の声をかける博士と、かけられるミサキ。 「悪かったですね、いまいち手伝えてなくて。そもそも兄さんの理論構築が一足飛びすぎるから、凡人がついてこられないんです。あとミサキ、お嬢という呼び方やめなさい」 肉親の情はかけられど、能力に対する信頼を得られない自分に、ナガレは自己嫌悪する。 「じゃあ、ハカセにみっちり教えてもらわないといけませんね、姐さん」 「はぁ……。兄さんにそんな甲斐性、あったかしら」 明後日の方向を向く博士。自覚はあるようだ。 「ん? ミサキ……?」 わたしがテストできれば……? 「あなたいつから居たの!」 ミサキのセリフは、兄妹の会話を知っていてのものだ。つまりミサキはだいぶ前からここに居たことになる。ミサキがナガレの耳元で囁く。 「お嬢が入口で、ハカセに声かけようかどうしようか悩みながら、笑ったり落ちこんだり赤くなったりしてるあたりからです」 言うととともにダッシュである。 「ハカセ! わたし書類整理やっときますねーーー!!」 ミニ台風はナガレの頭の中をどっちらかし、嵐のように消え去っていった。 「さて、僕もそろそろ仕事に戻るよ」 「は、はい!」 あたふたと挙動不審なナガレであったが、兄のセリフですぐに我を取り戻す。 「えっと、私に手伝えることありますか?」 兄のことを見ず、テーブルの上を片づけながら何気なくを装って聞いた。兄に正面から聞き、そして「無い」と言われたら泣いてしまうかもしれない。 「そうだなぁ、じゃあちょっとだけ、戦闘シミュのテンプレ作っておいてくれるか」 「は、はい! それならできます」 つまらない要件ではあるものの、兄の仕事の役に立てる。まだ信頼はないものの、信用は得ているし、そもそも研究員として未熟なナガレにとっては妥当な仕事だった。 「これ片付けたらやりますね」 ティーセットをまとめ、部屋から退出するナガレ。その背後から聞こえたセリフは小さく、彼女に聞こえないようにつぶやかれたもの。 「やっぱり運用テストが必要だなぁ……」
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