■ unreasonable fate(1)
「つまりあの作戦が上手くいってれば、姪御さんがウチの歌って踊るヴァルキリーになっていたかもしれないわけですか」 「まあ……そういうことだな」 ――ウェット・ワーカー達の雑談
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さよなら、あたしの人生設計。
こんにちは、見通しの暗い鈍色の日々。
思い描いていた未来へ行き着くためのレールはあの初冬の日にぶっ壊れ、あたしの人生は大きな脱線を余儀なくされた。
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「ここでいい、止めろ」 「はい」
人影もまばらな夜の市街を走る一台のワンボックスカーが、後部座席に座った男の指示で路端に停車する。
「告知は俺と南雲で行う。三城はこのまま車内で待機。雨宮、お前は今どこにいる?」
車内でリーダーらしき男が部下達と段取りを確認しつつ、通信回線で別所に居る少女に呼び掛けた。
『八号線沿いのショッピングセンターだけど』 「何をやってるんだお前は……」 『丘の上だしそっちは見えてるから大丈夫よ』 「息抜きも程々にしておけ。美澤の検査評価はダブルのAだ。水漏れの程度次第では本当に手を出すバカが現れる可能性もあるからな」 『はいはい』
男達がこれから訪問する場所はつい先日にヴァルキリーとしての適性が確認された少女の自宅である。ヴァルキリーという無敵の兵器が世界を席巻している現代において、それを操ることが可能な少女の価値は同量の宝石にも勝る。本来はヴァルキリーであるセシルを駆り出すような仕事でもないが、万が一の事態に備えて警戒を敷くに越したことはない。
「大丈夫じゃないですかね。検査局は"掃除"されたばかりでしょう?」 「あそこが一度の掃除で綺麗になるとでも思うか?」 「まあ確かに」
男が運転席に座るスタッフとフロントミラー越しに言葉を交わす。彼らの懸念は件の少女がヴァルキリーの適性を有するという事実が既に第三者の手に漏れてはいないかということであり、その可能性は少なからず存在していた。
『ところで今日は茶番の用意はしてないの? 嘘っぱち襲撃班がいないようだけど』 「調査票を見る限りでは可愛く悲鳴を上げるタイプでもなさそうだからな。それにボディガードごっこは疲れる」 『格好いいんだからやればいいのに』 「やらん」
ワンボックスカーのスライドドアが開かれ夜の冷気が車内に流れ込む。男ともう一人の部下と思しき女が車を降り、目的地の高層住宅へと向かって歩き始めた。
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"今夜お前に客が来る。大事な話だからよく考えて決めるように"
(何よ、これ)
血縁上は間違い無く自分の親類、かつ現在の保護者である叔父からのショートメッセージを確認したエレナが首を捻る。何かにつけ必要最低限の事しか伝えぬいつもの叔父だと言ってしまえばそれまでではあるのだが、寒風吹き荒ぶ冬の夜に自宅を尋ねてくるような人物に心当たりなど欠片も無く、エレナとしてはただ困惑するばかりであった。意味を尋ねようにも先程から叔父のステータスアイコンは業務中のままぴくりとも動かず、メッセージを送ったところで返事が来るのはおそらく日付も変わる終業後のことだろう。つまりエレナに打つ手はなく、叔父が言うところの客を待ち続ける以外にはなかった。
(付き合いやすい人ではあるんだけど……もうちょっとなんとかならないのかしらねホント)
今のエレナにとって叔父は唯一の親族である。十歳の頃に両親と弟を事故で亡くして以来、エレナは叔父の庇護を受けて生活している。しかしこの叔父というのが曲者だった。人として軸がぶれているわけではないが、自分の定めた軸から全くぶれないという点で困りものなのだ。およそ感情らしい感情を露わとすることが一切なく、それは家族であるエレナに対しても同様だった。勤め先では優秀な人物として高い評判を得ているようだが、年頃の子供の保護者として適格かといえば大いに疑問符の付く人物である。エレナを放って何日も家を空けることも珍しくはない。教育方針はただ一つ。何事も自分でよく考えて決めること。それが叔父と姪の暮らす美澤家における鉄の掟である。ひたすらにドゥーイットユアセルフ。放任主義と言うにはあまりにも投げっぱなしな境遇に置かれたエレナが特に非行に走ることもなかったのは、ひとえに実の両親による愛情という名の貯金のおかげであった。少々環境が変わったくらいで道を外れ自堕落となっては大好きだった両親に顔向けできようはずもない。叔父がどんなに困った人であろうがそれはそれ、これはこれ。自分は自分として立派に成長し、いつかは幸福な家庭を築いてみせるというのがエレナの抱く小さくも大きな野望であった。
(……そういえばレポートは明日までに仕上げなくちゃいけなかったっけ)
ふと、やり残していた学業の課題を思い出す。千里の道も一歩から。今日やるべきことをやらなければそのツケは未来で回ってくる。叔父の言う客というのがいつ来るのか、そもそも本当に来るのかも不明なのだ。まずは片付けられる物から片付けようとエレナが気持ちを切り替えようとしたところで、客の来訪を告げるアラートが小さく鳴った。
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「真州連合共和国特殊戦略軍、田中イチロー………」 「もちろん仮の名前だがね」 「同、山田カレン………」 「本名は別ですから」
叔父が言うところの客である二人組の男女から送信された電子名刺を確認したエレナがこれ以上ないほどに疑わしげな視線を向ける。記載されているのは部署名すらない極々最低限の所属と、どこからどう見ても偽名としか思えぬ、というより本人達ですらはっきり嘘だと言ってしまうような名前だけであった。
「あのー、お二人は本当に政府の方なんですか……?」 「君の保護者にも夕方お会いさせてもらったが、その点については確実だと理解して頂いたよ」
しかしどんなに胡散臭い身分証であろうとも、名刺に添えられた認証部分は少なくともエレナが照会できる限りでは真性の物に間違いはなく、テーブルを挟んで向かいのソファーに座る男女が当局の要員であることを証明していた。ましてや叔父が先に会い、その叔父が客として認めたのならば彼らが然るべき人物なのだと受け入れるよりなかった。
「はあ」
だが、そうと納得してしまえば今度は悪い予感が鎌首をもたげた。真州連合共和国特殊戦略軍。軍事には全く疎い普通の少女であるエレナも彼らが共和国の特殊な戦略の軍から来たのだと字面から読み取ることはできる。では、その特殊な戦略の軍と自分を結びつける接点は何か。一つ取っ掛かりを得てしまえばそこからの思考は連鎖的だ。考え得る中で最も有力な回答が他の可能性を押し退けて急浮上する。
「それで、あたしに何の用があるんですか。あたしは普通の学生なんですけど?」
エレナの心臓が鼓動を早める。口を突いて出た言葉は、もはや"そうでありたい"という願いが飛び出したにも等しいものだった。
「君にとっては残念だろうが、もう普通の学生ではない」 「どうして―――」
不安が脳裏を駆け巡る。この世界に生きる少女ならば誰しもが見舞われる可能性のある厄介事が、今まさに自分に降り掛かろうとしていることをエレナは悟らざるを得なかった。
「君には、ヴァルキリーとしての適性がある」 「………」
男が無造作に言い放つ。自分の人生を根底から覆すであろう事実を告げられたエレナが椅子から腰を浮かしかけ、そのまま言葉もなく全身から力が抜けたかのように再びソファーに背を預けた。
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「………で、あたしにはどんな選択肢があるんですか」
ヴァルキリーであると告げられた直後こそ正に茫然自失としか言いようのない姿を見せたエレナであったが、気を取り直したのか険しい視線で目の前の男女に問い掛けた。
『こいつ、立ち直りが早いな』 『告知されてから切り返すまで五秒ですよ。新記録ですね』
エレナの前に座る男女が無線通信で感想を交わす。今まで多くの娘達に告知を行ってきた二人にとってもエレナのような反応は滅多に見られぬものだった。身に降り掛かった深刻な事態を直ぐに理解することができるのも一種の才能には違いない。
「話が早くて助かる。泣き出してしばらく話にならないような子も多くてな」 「そうですか」
エレナが憮然とした表情で答える。理解はしたが納得まではしていないのは明らかな態度だった。
「法によって定められた義務としては、ヴァルキリーと認められた少女は国の為に力を尽くさねばならないが、必ずしもそれが厳格に守られているわけではない。君には三つの選択肢がある。大雑把に言うと、一つ目は我々に同行してヴァルキリーとなること。二つ目はヴァルキリーとはならないが、やはり我々に同行して安全な場所へと身を隠すこと。三つ目は我々が大人しく帰り、君は今までの生活を続けることだ。勿論、それぞれにメリットとデメリットがある」 「……その中だと三つ目がいいんですけど」 「あまりお勧めはしないな。この国で三つ目の選択肢を選んだ娘はここ十年で五人ほどいたようだが、全員が適性の判明から一年以内に消息不明となっている」 「は……?」
男がさらりと口にする。現状維持を希望してとりあえず三つ目とエレナは言ってみたものの、今まで通りの生活を続けられる余地など無きにも等しいというあまりにあまりな回答であった。選択肢の内、早くも一つが論外として消え去ったわけである。
『正確には二人を消息不明ということにして隠して、三人が本当にどこかへ消えちゃった、ですよね確か』 『その隠した二人についても本当に今も安全かは謎だからな』
「じゃあ二つ目は……」 「厳重な警備の敷かれた場所でヴァルキリーとしての適性が失われるまで暮らしてもらう。メリットは比較的安全なことだ。デメリットは自由が制限されることと、どれくらいの期間になるか不明なことだな。適性が失われるまでの時間には個人差がある。短ければ一年、平均して三年、長くて十年以上を覚悟したほうがいい」 「わりとマシといえばマシですね、それ」 「……ところが包み隠さずに言ってしまえば、今年に入って件の場所というのが見事に荒らされてな。ここ十年で二つ目の選択肢を選んだ娘の内、数字の上では三分の一が死亡もしくは行方不明になった。もう一度同じ事が起こる可能性も、まあ否定はできん」 「どこが安全なんですか!」 「比較的、と言っただろう。一年以内でほぼ確実に消息不明となるのに比べれば遙かに確率はいいぞ? 運に自信があるなら特に何もしなくともやり過ごせる可能性がある」 「ぐ………」
確かに三つ目に比べればマシには違いないが、二つ目を選ぶのは自分の運命を完全に他人の手に委ねることと同義だ。悪い言い方をすれば軟禁状態に置かれ、その中で生存への自発的な努力をする余地はおそらくない。正に運否天賦のギャンブルだ。生き残れるか否かはどこまでも自分以外の第三者の都合というわけである。
「なんかもう遠回しに一つ目を選べと言われている気がしてきたんですけど」 「確かにそうしてくれるのが我々としても望ましいが、無理強いをするつもりはない」 「いちおう一つ目についても説明してくれます?」 「ああ。最大のメリットは生き残る確率が一番高いことだ。実際にここ十年、この国でヴァルキリーとなった娘の内、九割が今も生存している」 「他の二つに比べれば全然いい数字じゃないですか」 「だろう? ただし、それは真州がこのところ大規模な戦争に巻き込まれなかったからだ。もし戦争が起こればこの数字は一気に悪くなる。今現在で最も可能性があるのは海を挟んだ隣国、カルディヤ連邦との衝突だな。そうなった場合に駆り出されるヴァルキリーがどの程度の損害を被るかまではわからん」 「………」 「そしてもう一つの大きなメリットは金だ。君が優秀なヴァルキリーとして任務に従事できるのならば一財産を築けるだろう。引退後は悠々自適の生活だよ。ついでに言えば名声も手に入る。青春を不本意な戦いへと費やすのに見合うだけの価値があるかどうかは知らんがね。あるいは君がヴァルキリーとして平凡であったとしても、それなりの収入は保証される。人生の仕切り直しも充分に可能なはずだ」 「はあ」 「デメリットとしては、君は軍人として時には命を賭け、あるいはヴァルフォースで国の面子を背負って戦う必要がある。日頃の教育や訓練にしてもそこまで楽なものではない。要するに肉体的にも精神的にも辛い目に遭うことだな。その他、細かい事を上げればきりがない」 「死ねと言われたら死ななきゃいけないような場面もあるってことですよね」 「当然だろう?」
お前は何を言ってるんだといわんばかりの返事であった。
「ま、口でいくら説明しても時間が掛かるばかりだからな。判断材料になる資料を渡すからよく読んだ上で考えて決めてくれ。質問があれば随時答えよう」 「答えを出すまではどれくらい待ってもらえるんですか」 「そうだな……遅くとも夜明けまでには返答が欲しい」 「一晩で決めろと?」
エレナの声から不満が滲み出る。さすがに二日か三日の猶予はあるだろうと思っていたからだ。
「家族会議をするには充分な時間だろう。君を護衛するにも人手が掛かるからな」
(家族、会議……)
そうと言われてこの場にはいない叔父のことを思い出す。日常の些細な問題ならいざ知らず、今エレナに突き付けられたのは人生を決する類の重大な問題だ。家族であるならばここは一つじっくりと話し合うのが当然といえば当然かもしれないが、あの人はこんな状況でも我関せずを貫くのではないかとエレナは思った。そもそも今晩帰ってくるのかすらも怪しいものだ。
「今日はあたしの叔父さんと先に会ったんですよね」 「ああ。君よりも先に話をさせてもらったからな。その上で我々から直接君に事情を伝えることを承諾して頂いた」 「その……今回の話を聞かされて、何か言ってました……?」 「特にはない。終始落ち着いた態度で我々の話に耳を傾けてくれたよ」 「……そうですか」
エレナにはその時の様子がまるで目に浮かぶようだった。まさかあの叔父が動転あるいは激昂したとは露ほども想像してないが、全くいつも通りというのもあまりに薄情ではあるまいか。この件について相談したところでどうせ決断を完全に丸投げされるであろうことは想像に難くない。落胆とまではいかないが、流石に一抹の寂しさはある。
『厄介な保護者ではあったがな』 『突っ込み激しかったですね。こちらが伏せておきたいようなことも静かな顔でビシビシ指摘されましたし』 『あの手合いが身内大事さに抵抗したらかなり面倒なことになるが……そうでもなさそうなのが救いか』 『正直なところ邪魔をされたくはないですしね』
「さて、これで話は一段落だ。交代の人員がこちらに到着次第、我々は席を外して君の決断を待つ。保護者に連絡を取って話し合うのも自由だ。先程も言ったが何か質問があれば答えられる範囲で答えるから気軽に連絡したまえ」 「いい返事ができるかどうかはわかりませんけど」
やや伏し目がちのままエレナが答える。
『あー、主任。お話中に済みませんが』 『いや、概ね終わったところだ。どうした?』
屋外の車内で待機していたスタッフが男に無線通信で呼び掛ける。
『悪い知らせです。それも非常に。主任達がいるそのマンションですが、数分前に所有者の変更がありました。買収主は国内の独立系総合不動産業者ですが、諸権利を即座にインテグラルへと委譲しています。定時の公報で確認しました。つまり今現在、そこでは連中の企業法が適用されます』 『区分は』 『B1です。既存住民には保有国籍による法が継続して適用されますし、主任達についても退去命令が出るまでの間はそこに留まることもできますが……』 『交代の面子やセシルが今から侵入すると大揉めになる、か。随分と大技を使ってきたな』 『インテグラルらしいといえばらしいですね。あそこはオーナーの勅令さえ下ればなんでもありですから』
その知らせは男達にとって最悪に近い部類のものだった。企業国家の法は各企業が権利を所有する全ての土地に及び、たとえその場所が主権国家の領土領海内であろうとも変わりはない。つまり男達はつい先程まで真州連合共和国に居たはずが、突如として足元が他国の地へとすり替わり、不法な侵入者として排除されても文句の言えない状況へと叩き込まれたわけである。旧時代ならば必要とされる無数の書類とサインを用意する段階で時間的に躓くところだが、電子化が極度に進んだ現代では充分な資金と当事者同士の合意さえあれば光の速さで手続きが完了する。強引な即時買収で他人の庭を切り取り、その中で合法という言葉を棍棒のように振り回して押し込み強盗を働くのは企業国家にとってお家芸の一つであった。
とはいえ真州共連合和国という、従来国家の中では一、二を争う大国の、しかも首都の人口密集地で事に及ぶというのは流石にメガコーポといえど二の足を踏む行為である。少なくとも現地の責任者が一瞬で下せるような決断ではなく、あるいは本社であっても意志決定に多少の時間を要するだろう。だが、永世者という生きるヘッドクォーターが手広く指揮を執るインテグラルに限っては例外だ。インテグラルが美澤エレナというヴァルキリー素質者の情報を握ってからどれだけの時間が経過しているのか定かではないが、おそらくは考え得る限りの最高速で人員を編成し、エレナの確保に向かってきたという点について疑いの余地はなかった。
『というわけで間もなくそこは鉄火場ですよ。既にエントランスからそれらしい連中が入り込みました。数は少なくとも五人。詳細まではわかりませんでしたが、まっさらな身体というわけではなさそうです。武装についても手荷物の大きさからすると重機くらいまでありえるかと。おそらく拉致が目的な以上はそう簡単にぶっ放しはしないでしょうが……俺もそっち行った方がいいですかね?』 『いや、お前は車を西側に回して待機しろ。こちらは俺と南雲でどうにか突破する。それと大急ぎで敷島を呼び出してこの建物の管理システムを殴らせろ。相手に掌握されたままだと脱出に支障が出る』 『敷島一人じゃ荷が重くないですか? 向こうさんがその気ならもうユニット単位で直掩に入ってると思いますが』 『手段を問わなければ落とすくらいは出来るだろう。綺麗に制圧して居座り続けることまで期待はしない。最悪、手に余るようならアウトランドのデータセンターを使い潰しても構わん』 『そりゃまた大盤振る舞いで』 『どうせ廃棄予定の施設だ。足跡丸見えで爆撃されても問題なかろうよ』 『了解。無事に出てこられるのを祈ってますよ』 『そうしてくれ』 『そっちはそれでいいとして、私はどうする?』
通信の向こう、ショッピングセンター内のカフェテラスで団子を啄みながらセシルが自分の役割を尋ねた。
『聞いての通りだ。お前がここに来て映像一つでも残ればこの件はヴァルフォース行きを免れん。だが外から撃つ分にはギリギリ大丈夫だろう。狙撃手がいれば潰せ。どんな得物を使うかは任せる』 『そっちが本当にピンチになった場合は?』 『そのまま死ぬさ。どうせ俺達は歩く死体だ』 『え、一緒に死んでくれるんですか?』 『……雨宮、今のはなしだ。そうなったら南雲だけ救出してから離脱しろ』 『いいじゃない、一緒に死んであげれば』 『そうですよ』 『気が変わった。こんないつものことでいちいち死んでいられるか、馬鹿馬鹿しい』
「どうしたんですか?」
男達がどのような通信をしているかエレナには知る由もない。話の区切りが付いたかと思えばしばらく身動きしない男の姿を不審に感じるのも当然のことだった。
「少々厄介事が起きた」
男が足元のアタッシュケースを机上に乗せる。マグロックの解除により留め金が軽く音を立てて外れ、男が急ぎ早にケースを開く。
「……へ」
ケースの中から取り出されたものは二挺の拳銃だ。だが、それは見るからに普通の拳銃ではない。市街を巡回する治安当局者が腰のベルトに付けて持ち歩く小型の拳銃と比べて二回りは大きい。まるで象を撃つにも不足が無いような代物だ。
「人の家でそんな物騒なの出さないでください!」 「最近の誘拐犯は凶悪でな。これくらいは必要なんだ。そら、南雲」 「はい」 「誘拐犯って……」
エレナの抗議などお構いなしに物騒な凶器が眼前でやり取りされる。男と女はそれぞれ一挺ずつを手に取ってソファーから立ち上がった。
「多少は察しが付くだろう? どこぞのメガコーポが、お前を狙って野蛮な連中を送り込んできたというわけだ。今頃はおそらくエレベーターと階段の両方からこの部屋を目指している真っ最中だよ」 「これ、あんまり使いたくないんですよねえ……腕痛めますし」
女が渋々と呟く。手渡された銃は甲冑式のミルスペックアーマーやフルボーグの装甲を撃ち抜く為の武装である。間接や筋肉に強化手術を施していようが身体に掛かる負荷は大きい。生身の人間が扱えば発砲した瞬間に手元からすっ飛び、銃自体が射手の額をかち割る凶器と化すような危険物だ。そもそも拳銃のくせに長大なカートリッジが上部へと突き出すように装着されている時点で何かが間違っているのだが、素材技術の進歩により防御側の対弾能力が著しく強化された現代にあっては、一部界隈でこのような狂った火器が必要とされているのもまた事実だった。他にフルボーグを一撃で沈めるに充分な装備となると対物ライフルやモノフィラメントウィップ、あるいは高周波振動剣などが存在するが、これらはこれらで取り回しや射程などの問題を抱えていた。
「俺は好きだがな」 「主任は新式のリムだからそういうことが言えるんです」 「お前も昔は背丈よりも大きな斧を喜々として振り回していたじゃないか」 「そりゃヴァルキリーでしたからね。今は普通の女の子ですよ?」 「そうか女の子か」 「ええ、女の子です」 「わかった。そういうことにしておこう」 「………」
どこが女の子よ、と男に代わってエレナが心の中で毒づく。女の見た目はどう見ても二十代半ばくらいであり、そしてエレナの基準からすれば、弾丸の直撃で胴体が真っ二つに引き千切れること間違いなしのミンチメーカーを他人の家で取り出し平然としているような奴を女の子とは呼ばないのだ。
「まだこのフロアまでは上がって来てはいないようだが……さて、どうする女の子?」 「壁抜きで二人くらいは殺しましょう。せっかくこんなゲテモノが手元にあるんですし。不意打ちは充分に可能かと」 「そうするか」
物騒な得物の露出に続いて交わされた過激な会話を前にエレナは頭を抱えたい気分だった。これはおかしい。明らかにおかしい。今日の夕方までは昨日から連続した平和な日常を過ごしていたはずが、日が暮れるやこの不条理な展開だ。こんなふざけた事態に巻き込まれるのがヴァルキリーになるということなのだろうか。おそらく、そうだ。刺激的な非日常など全く求めていないエレナにとって、今の状況は正に悪夢そのものである。
「おい、美澤」 「はい?」
唐突に呼び掛けられてエレナが素っ頓狂な声を漏らす。
「念のために確認しておくが、"三つ目"はないな?」 「……あ、ええと……そりゃ基本的には一つ目か二つ目で考えてますけど……」 「オーケーだ。今からお前は我々の保護下に入る。ここには当分戻ってこれないと思え。何か持ち出しておきたいものがあるなら急いで支度をしろ」 「持ち出したいもの、なんて………」
エレナが周囲を見渡す。掃除は行き届いているものの最低限の家具だけが備えられた飾り気一つない無機質なリビング。自室についても思いを馳せるが、火急の事態に際して貴重な時間を費やしてまで持ち出したいものなどあるだろうか。両親との思い出の品やお気に入りの小物、衣類など、多少の執着を覚える品があることにはあるが、それらはエレナにとって絶対的に必要なものではない。短時間の合理的な思考の末に、エレナが導き出した答えは極めて明快なものだった。
「とりあえず命があればそれでいいですよっ……!」 「潔いわね」 「だったら我々から離れるな。移動のタイミングは無線で指示する。今すぐリンクに参加しろ」 「あー、もー! どうしてこんなことになったのよ……」
脳波を介して自分の個人端末を操作し、男達との通信リンクに加わりながらエレナがぼやく。特に持ち出すようなものはないが、流石に部屋着のままで外に出るのは避けたいのか、エレナは自室の入り口に掛けていたコートを勢い良く引っ掴んで袖を通した。
「はい、どうぞ」 「……眼鏡?」 「着けてないとすぐに困ったことになるわよ。音凄くなるし、明かりも多分落ちるから」
エレナに向かって女が差し出したのはイヤーパッドとミラーシェードだ。着用を促す理由は言葉の通りであり、もう一つの理由としてはフラッシュバン一発でエレナが行動不能なお荷物となることを防ぐ為である。万全を期すならついでにガスマスクでも着けさせるところだが、さすがに男達もエレナの為にそこまでの荷物を持ち込んではいなかった。
「だったら自分で使えばいいじゃないですか……」 「必要ないの。私も彼も身体はかなり弄ってるから」 「どれくらい」 「いっそ総取っ替えした方が早いかな? 必要に応じて継ぎ足していったらこうなっちゃたのよ。結構メンテも大変でね……」
エレナが呆れ顔を浮かべる。そう言うからには目と耳を入れ替えているのは勿論として、携えた超大型の拳銃を問題なく扱えるのならば運動能力についても生身の人間を遙かに凌駕しているに違いない。この調子だとおそらく加速神経や皮膚装甲まで埋め込んでいるのではなかろうか。
「おい、最後通告が来たぞ」 「何よこれ……」 「得意顔で殺人許可証を披露してるのよ」
けたたましい警告音と共に赤いウィンドウが知覚野でポップアップする。それはタワーマンションの管理システムから敷地内の全端末に向けて発令されたアラートメッセージだ。そこには発令者からの通達と法の条文が延々と記述されており、受信者にどこまで理解させる気があるのか疑わしい程に長大なメッセージだが、要約すれば"俺達は今からここで何をしてもいい"というシンプルなものである。
「よかったな美澤、今から本物の撃ち合いだぞ。普段は茶番で脅かして"一つ目"を選ばせるところなんだが、本物を見てから身の振り方を決められるとはお前は実に運がいいな」 「ふざけたこと言わないでくださいよ! ていうかあんたらいつもそんなことしてるんですか!?」 「相手は選ぶわよ。気弱な子とかは背中押してあげないとどうにもならないことがあるし。でも美澤さんはそういう小細工嫌いそうだから今回は仕込みは何もしてなかったんだけど……」 「蓋を開けてみればこの有様だ。わからんもんだな」 「あたしがどんな悪いことをしたっていうのよ……」
もはや何度目かもわからぬ悲嘆の呻きがエレナの口から零れ落ちた。 |