■cursed device
「ふざけんなてめー! そんな弱い奴を苛めて何が面白いんだよ!?」 『吠えるなよ虫螻が。全ての生命は私の玩具だ。お前らとは存在の位が違うのだからな!』 ――八重坂ミリアとリッチモンド卿
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曇りガラス越しに射し込む朝日を受けて柏木クルルは目覚めた。睡眠時間は充分だ。昨日の疲れも残っていない。それなのに、どうして身体は、自分の心はこれほどまでに重いのか。答えなどクルルにはわかりきっていた。今日という日は、常に昨日という日から続く拷問の連続に過ぎないからだ。
『お目覚めかね?』 「うん……」
『大変結構。さあ、今日も楽しい一日を過ごそう』 「うん……」
それはクルルにだけ聞こえる、空気の振動を伴わない声だった。共に戦う相棒の声だった。憎むべきクソデバイスの声だった。彼は、常にクルルの側にいる。
『では早くベッドから出るんだ。時間は貴重なのだよ。私にとってはそうでもないが、お前にとっては大事なものだ』 「うん……」
淡い桃地に水玉模様の布団からクルルがもぞもぞと這い出て壁際のクローゼットへと向かう。足元には絨毯が敷かれ、ベッドの脇には小さな学習机が設えてある。その部屋は正しく年頃の少女のものだ。だが唯一、部屋の片隅に立て掛けられたクローム質の杖だけが、この空間に似合わぬ異物であった。
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オルニック・マーセナリー・サポート・アソシエーションが駐留する西部戦線の要石。仮設とはいえ十分に用を為す建物の中を、クルルは食堂に向かって歩いていた。周囲を行き交うのは砂色の迷彩服を着た厳つい容姿の軍人達ばかりであり、薄い布地の私服に身を包んだクルルはどこまでも場違いな存在である。あるいは、だからこそ、周りの者達は何らかの形でクルルを気遣うのが当然なのかもしれないが、そのような反応は一つもない。クルルの姿を見付けた者は、誰もが先ず表情を硬直させ、すぐに取り繕ったような様子でその存在を無視している。触れてはならない。話しかけてはならない。そこに居るものと扱ってはならない。まるでそんなルールがあるかのように。
『いやはや、みんな冷たいことだ』 「誰の……」
せいだと言い掛けクルルは口を噤む。
『いやいや、お前の身の上に同情し、心の底から救いたいと願うのならば、多少の危険など顧みず勇気を持ってお前に話しかけるべきだろう?』 「………」
無茶な話であった。それを実行した一人目は、全身の関節と筋肉を切断され即死した。更に勇気のあった二人目は、戦場でクルルに救われたことへの感謝を述べようとしたところで肛門から頭頂部まで裏返るというスプラッタな死を遂げた。そして特段の勇気があるわけではなかったが、クルル本人がいないところで同情の心を寄せていることを同僚に打ち明けた者は突如の心臓麻痺によって息絶えた。つまりクルルに話し掛けるだけで、気遣っていることを表しただけで死ぬしかない。クルルが孤立するには全く充分な理由であった。
「じゃあ……私を本気で助けようとしてくれる人がいたら、その人に酷いことをしないでくれるの……?」 『馬鹿も休み休み言え。私はお前を気に入っているんだ。手放すことなどありえんよ』 「そうだよね……」
茫洋とした暗い瞳のままクルルはトレイに載せた食事を運ぶ。誰もクルルと視線を合わせず、見て見ぬふりをし、腫れ物扱いする空気の中で、クルルは食堂の隅にある長机の側に置かれた椅子へと腰掛けた。そのテーブルはクルルの指定席だ。広い食堂内の喧噪から取り残された離れ島。そこで誰からも無視されながら朝食を摘むのがクルルの朝の日課だった。
無論、この状況を誰もが良いとは思っていない。過酷な仕事に駆り出されるのがヴァルキリーの常とはいえ、クルルはその中でも更に若い。思春期を迎えているかどうかも怪しく、まだ初等教育を受けていてもおかしくはない年頃だ。そんな少女が衆人環視の中で精神的に嬲り者とされている様子は、多少の良識を持った者ならば吐き気を催す光景だ。そして一度キャンプの外で作戦行動を開始すればクルルは肉体的にも深い傷を刻まれる。いや、刻まれるどころの話ではない。身体には文字通りの大穴が開き、時には四肢が千切れ飛ぶ。クルルの出撃は常に「帰投可能な範囲で最大限に危険なコース」が選ばれていた。いくら一晩でいかなる怪我が再生しようとも、連日連夜瀕死の目に遭わされるというのは拷問以外の何物でもない。
だが、誰もクルルを救うことはできない。そんな素振りを見せることもできない。問題はクルルが手にする杖だ。その杖はヴァルキリーの武装であると同時に、永世者の分化された意識と力が埋め込まれたインテリジェント・デバイスでもあり、常にクルルとその周囲を見張り続けている。つまるところクルルは玩具なのだ。企業国家オルニックはインテグラルの総帥に加え、更にもう一人の永世者と手を結んでいた。そしてオルニックが技術を提供される見返りとして差し出した生贄こそが柏木クルルという少女であった。幼子一人に責め苦を負わせ、傘下企業にて多少の放逸を許す程度で大きな利益を得られるのであれば、メガコーポがそれを選ばぬ理由はない。取引に乗ったオルニックの女王も、それを容認したインテグラルの総帥も、幼気な少女を趣味嗜好で虐げる件の永世者を好いてはいなかったが、どう算盤を弾いても自陣に取り込むことが最善であるのならばそうするだけの話であった。
『さて、クルル。今日は北東の山脈を越えてカルディヤを叩くぞ』 「あの赤い人達はもういいの……?」 『ああ、猟奇兵団か? 奴らの戦車は粗方潰してしまったからな。ヴァルキリーを含めた主力が戻ってくるまでは放置で構わん。カルディヤの方は昨夜にようやく増援が到着したようだ。ヴァルキリーも十人くらいはいるだろう。食べ頃だよ』 「っ……十人も一度に相手にしたら死んじゃうよ!!」 『ならば死ね。蘇生こそ私の得意業だ。お前一人を黄泉還らせるくらいはわけもない。命は無料だ。今すぐ死ね。いや、いや、いやいやいや、今すぐ死なれても困るな。スケジュールが狂う。ちょっと待て、今一度落ち着いてよく考えるからな? 身体から離れているとどうにも頭の巡りが悪くなってな。まあちょっと待て。今考えるぞ』 「考えなくていいからっ! あなたの考えることにまともなことなんて一つもない!!」 『お前はカルディヤのヴァルキリーと戦って死ぬ。八人くらいは殺してからお前が一人死ぬという非常に有利なバーターだ。黄金の取引だ。そして私はお前の死体を動かして遊び、残りを私が気儘に殺す。飽きたらお前を蘇生させ、夕方にはここへ戻ろう。お前は血塗れのまま何時も通りに夕食を済ませ、死体のように眠るんだ。よし、グッドプランだ! これでいくぞ! 我が灰色の脳細胞かくあるべしだ!』 「そんなの全然グッドプランじゃない! 昨日と同じだよ! 一昨日とも同じだよ! ねえ楽しい!? 私をいじめるのがそんなに楽しいの!?」 『暇潰し程度には楽しい』 「――っ!」
クルルが側に立て掛けられた杖を睨み付ける。凄んだところで所詮クルルは幼い少女に過ぎず、迫力こそ欠けてはいたが、憎悪と軽蔑を十二分に含んだ視線であった。
『…………』 「…………」
『クルル、笑え』 「……え?」
互いの短い沈黙の後にその杖が発した、全く予想もしていなかった言葉にクルルが戸惑う。
「……っ……やだ、やだ、やめて、いやあああああああああああああああああああああ!!!」
クルルの表情が瞬く間に恐怖で凍り付き、次いで甲高い絶叫が細い喉元から迸った。全身を灼き切るような激痛に襲われたクルルは姿勢を保てず椅子から転げ落ち、身体を断続的に震わせながら冷たい食堂の床へと蹲る。"杖"はクルルの身体を隅から隅まで掌握しており、クルルの小さな反抗に対して即座に苦痛を与える事など造作もなかった。
『笑えと言った』
食堂の隅で行われる露骨な加虐、その光景に居たたまれなくなった者達が次々と背を向け去って行く。そして反抗の心も早々に折れたクルルは身を苛む激痛に悶えながら歯を噛み締めて命令通りの表情を作った。それは心からの笑顔には程遠い物だったが確かに笑顔には違いなく、懲罰は終わりを迎えクルルは苦痛から解放された。
「……っ……ぁ……はぁっ……ふ、ふぇ、うぇえぇえん……もうやだ、やだよぉおおおお……」
過酷な責め苦を受けたクルルの額から脂汗が浮き出る。瞳からは大粒の涙が、口からは嗚咽が零れ落ちる。
『気は済んだか? さあ、立て。支度をしろ』 「うぅ……」
クルルがのろのろと床から立ち上がる。
「誰か……助けて………」
蚊の鳴くような小さな声でクルルが悲嘆の呟きを漏らす。その声は周囲の誰にも聞き留められぬまま、喧噪の中に吸い込まれていった。 |