■one of encounters(2)■
「どうして内と外でそんなに態度が違うの……」 「王とはそういうものじゃからな」
――神凪アイと宝鏡メイの会話
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喫茶店を出てから数分、エレナとセシルは空港ターミナル内の通路を歩き続けていた。
「あのー、先輩。どこまで行くんですか?」 「ちょっとね」
前を向いたままセシルが答える。どうやら土産物が目当てというわけでもないらしい。その内にセシルの足も止まり、場所を見定めるように周囲を二度、三度と見回した。
「ここでいいかしら」 「ここって言われても……特に面白いものなんて見えないですけど」
着いた場所は巨大な広場だった。硝子張りの高い天井と広大な空間は観光的に見るべき点はあるかもしれないが、それだけと言えばそれだけである。
「前に見た時もこのあたりを通ってたし……ま、少し待ちましょ」 「何か来るんですか?」 「そうよ」
答えながらセシルは適当な柱に背を預け、手元のポーチから小さな飴玉を取り出しコロンと口元に放り込んだ。
「エレナも飴ちゃん食べる?」 「いや、それ苦手だからいいです……」 「美味しいのに。梅こんぶキャンディー」 「……今に始まったことじゃないですけど、先輩って微妙に渋好みですよね」 「そういう育ち方をしたのよ」 「はあ」 「それよりもエレナは周りをよく見ていなさい」
言われるままにエレナは目を凝らして辺りを観察するが、見える範囲の光景はあくまで日常的な到着ロビーのそれである。
「そろそろかしら」 「だから何がで……」
だが再度セシルに問い掛けようとしたところでエレナの言葉は途切れた。視線の先、広場の何カ所かで奇妙な現象が起こり始めたからだ。係官に引き連れられて移動していた麻薬犬は突如として何かに怯えるように周りを窺い始め、ベビーカーに乗せられあるいは大人の腕に抱かれた赤子はけたたましく泣き声を上げ、物陰に棲んでいたらしき鼠が勢い良く飛び出し一目散に逃げ去っていく。
「え、えー……?」
その唐突な出来事にエレナも素っ頓狂な呻きを漏らす。間もなく他の者達によるざわつきも大きなものとなり、遠くのゲートの内一つでは特に騒々しさが増し始めた。
「お茶を飲んでいる時に速報で見たのよ。つい先程、宝鏡メイがここに到着したんですって」 「まさか本人が?」 「ほら、来たわ」
セシルが指差した方角から現れたのは、小柄な少女を先頭とした大集団だった。
「……なんですか、アレ」 「歩く治外法権よ」
エレナが呆れ顔で言うのも無理はなかった。少女に引き連れられた集団の内、スーツを着込んだ文官はともかくとして、体格の良いボディガードらしき人物達はいずれも剥き身の銃火器を吊り下げている。更には街中をその姿で歩けば即座にサイバーサイコ認定間違い無しの軍用フルボーグ数名に加え、これまた武装を全く隠そうともしない小型のドローンまで数機混ざっていた。それこそ当局の然るべき機関を除き、公共の場所に存在すること自体が間違いのような連中である。
「あんな物騒なものをこんな場所でちらつかせているのもどうかと思いますけど……なんですか、アレ」 「歩く怪獣よ」
エレナがうんざりとした顔で重ねて言うのも無理はなかった。その後に付き従う武装集団よりも何よりも、先頭を行く存在こそが威圧感の源だった。身形は十歳前後の少女である。しかしその立ち振る舞いに可愛げというものは一欠片も無く、どころか周囲の全てを食い殺さんばかりの雰囲気を全身から漲らせて憚ることなく歩を運ぶ。もしこの世に正気値というものがあるのなら、今まさにそれが僅かながらも削り取られていることをエレナは感じていた。
「目は合わせないようにしなさい。これ以上近付くのも無し。それと敵意は絶対に持たないこと。目を付けられたらいきなりフォースグリップで首を絞め上げられるわよ」 「どんだけ凶悪なんですか……」 「国の飼い犬に過ぎない私達と違って自分で自分のケツを拭けるから、手を出すまでのハードルが凄く低いのよ」 「先輩、下品ですよその言い方」 「そう?」
エレナはあらためて少女に視線を戻す。この場にいる利用客や係官は誰もが身を竦め、あるいは少女から遠ざかることに専心していた。遠巻きに眺めているエレナとて居心地は決して良いものではない。喩えるならば、忘れていた大事な用件を思い出して血の気が引くあの感覚をずっと味あわされているようなものだ。今すぐにでも回れ右をして元来た道を戻りたいのはエレナも同じだった。
「あのー、先輩は平気なんですかこれ」 「慣れの問題よ」 「はあ」
対してセシルは臆する様子もなく口の中で飴玉を転がし続けている。セシルはそう言うものの、エレナとしてはこの雰囲気が一度や二度で慣れるような物だとは到底思えず、何故にセシルがここまで超然としていられるのか多少気になるところではあった。
「それにしても見た目はちびっ子なのになんつー偉そうな……」 「あ、そういうのダメ」
「聞こえとるぞ小娘」 「え―――?」
それはエレナにとって全く予想外の声だった。囁き声が耳元を擽り、次の瞬間には反応する暇もなく轟音と共にエレナの姿が消え失せる。とはいえその場から完全に居なくなったわけではない。頭上から無形の衝撃を受けて、エレナは横倒しとなった姿のまま大理石張りの床を砕き、全身が地面に深く埋まり混んでいた。隣のセシルからはどうにかエレナの左腕だけが目視できる状態である。遠く離れた少女が軽く手首を振り下ろしただけでもたらされた一撃により、エレナは完全に意識を失っていた。
しかし今の打撃だけでは物足りなかったのか、少女は重ねてエレナを痛め付けようと再度手首を持ち上げる。先程よりも予備動作の大きさが増している以上、無防備なまま受ければ今度は治癒にも時間の掛かる重傷となりかねないのは明白だった。流石にそれは見過ごせるものではないと、目の前の出来事にも顔色一つ変えなかったセシルが片腕を広げてエレナを庇う仕草を見せた。
「追撃するというのであれば、黙って見ている気はありませんが」
誰にも聞こえぬような小さな呟きである。だが、これでも充分に少女まで届くことは判っている。でなければ少女がエレナの言葉を咎めて攻撃を加えることもなかったのだから。
「その小娘が下らん軽口を叩く質だと知っててわらわに近付けて何を言う。だいたいさっきも本気で注意しとらんかったじゃろ。おぬしも同罪として張り倒しても良いくらいじゃが?」 「それは言い掛かりというものです」
実際は全く少女の言う通りなのだが、セシルは厚顔に主張した。現時点では少女にとっても経験浅いヴァルキリーを撫でた程度の戯れで済む範囲である。しかし、ここでセシルが物分かり悪く全力で立ち向かえば事態は面倒なものとなる。少女にとっても今が引き際であることをセシルは充分に把握していた。
「……まあ、よかろう。だが二度はないぞ」 「どうも」
それ以上は特に何事も無く、少女は手勢を引き連れて歩みを進め、セシルはその姿を無言で見送っていたが、互いの距離が最も縮まったところで再び少女が口を開いた。
「随分と目を掛けているようじゃが……その小娘がそんなに大事か?」 「友達ですから」 「友達か。ええのー、羨ましいわ」 「作ったらどうです?」 「無理じゃな。歳を取りすぎた」 「そうですか」
今度こそ会話は終わり、広場を騒がせた永世者とその一団は陥没した床と埋まったエレナを残してその場を去っていった。
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「これはまた……きれいにめり込んだものねえ」
少女達が居なくなってからセシルは隣で埋まっているエレナの傍へと屈み込んで暢気な感想を漏らし、エレナの腕に手を伸ばした。
「よいしょ」
掛け声と共に立ち上がり、エレナを地面から勢い良く引き抜く。周囲には我に返った係員や野次馬が集まっていたが、セシルはお構いなくと言い残して気を失ったままのエレナを背負い、元来た道を戻っていく。
「ま、いい勉強にはなったかしら」
当初目論んでいたよりも随分と荒々しいことになってしまったが、この程度のトラブルならばむしろ望ましいものだった。六堂マリアとその武装に限らず、この世界には存在自体が異常な者達が少なからず存在する。そのことを教え込むためには実際に触れさせるのが最も手っ取り早い。……戦場で相対してからでは遅いのだ。だが彼らの脅威を知ってさえいれば、生き延びる可能性を掴むことができるかもしれない。
「……そうだと、いいんだけど」
そして訪れるであろういつかの日に、彼らに対して果敢に挑むか、あるいは尻尾を巻いて逃げるのか、それはエレナが決めることだ。せめてその判断材料を与え、己の決断を貫き通す力を養う一助となるのが、明日無きセシルが後輩にしてやれる唯一の事だった。 |