夢ソフト

■second life

「無理よ無理、やるだけ無駄よ? お姉さんじゃユーラには指一本触れられない! 」

「救い難き傲慢ですね。まさか我々が無策で挑んだとでもお思いで?」

                ――水無月ユーラと高天原ハルカ

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「―――五年か。長い間ご苦労だったね、水蓮君」

齢は五十を過ぎた辺りだろうか。三つ揃えのスーツを着込んだ壮年の男が向かいに座る少女――水蓮アザミの長年に渡る献身を労う。その声は全く穏やかなもので言外の含みを感じさせるものではなく、正に言葉通りの賛辞ということが窺えた。

「……いえ」

十三歳でヴァルキリーとしての適正を発現し、以来五年間を那岐島のヴァルキリーとして戦った。二つの大きな戦争、十を超える小競り合い、数え切れぬ程のヴァルフォース。幼く未熟だったアザミは度重なる激戦を経て己の力と技を磨いた。三年続けばベテランと呼ばれる界隈で五年という時間は長い。四年目を迎えた頃には自他共に認める那岐島のエースとして君臨し、数多の少女達を打ち倒した。だが力の終わりは必ず訪れる。ヴァルキリーとしての適正を失ったアザミは引退の時を迎え、那岐島の担当役員と最後の面談に臨んでいた。

「君が人生の中で最も輝かしい時期を捧げて那岐島に尽くしてくれたことを心から感謝している」

毎日のように襲い来る肉体的な痛み。精神的な重圧。身に覚えの無き誹謗中傷。事実に基づいた弾劾。苦痛の種には事欠かなかった。その反面、名誉もあった。栄光もあった。とはいえ果たしてそれは自分が捧げたものと与えられた痛みに釣り合いが取れるものだったのか? アザミにはわからない。

水蓮アザミは幸福な少女だった。戦禍とは遠い国に生まれ、両親と妹との四人家族で恵まれた日々を過ごしていた。友人が居た。恩師も居た。足りないものといえば恋人くらいだったが、それも時間の問題ではあっただろう。全てが変わったのはアザミにヴァルキリーとしての適正が発現した時からだ。稀少な才能を巡る争いはアザミとその周囲を破壊した。幾つかの国家とメガコーポによる争奪戦の末、アザミは那岐島へと身を寄せ、ヴァルキリーとして戦うことになった。

骸を積み上げる毎日が始まった。なまじ優秀であったことがアザミにとって仇となった。いつしか向けられる憎悪は臨界を超えた。そして怨恨を抱く者は時に復讐対象の周辺へと手を伸ばす。気付けば家族も居なくなっていた。自分の家族がどのようにして殺害されたのかアザミは今も知らされていない。聞かされたところで耳への毒にしか成り得ぬ程度には無体なものだったのだろう。後に那岐島の手によって実行犯への報復が為されたことだけはアザミも知り得たが、そんなものは大した慰めとはならなかった。

「例のジンクスを打ち破ることはならなかったが……そのことが君の功績に影を落とすわけではない。我々は君の第二の人生が実りあるものとなるよう支援を惜しまぬだろう」

「……ありがとうございます」

「君の戦いは終わった。本日、契約の終了と共に規定の報酬が君の口座に振り込まれるわけだが、他に何か望みはあるかね?」

結局、アザミはヴァルキリーとなる以前に持っていた物を全て失ったのだ。それでも心の持ちよう次第では目の前の男が促すように第二の人生とやらを明るく歩めるのかもしれない。しかし第二の人生とは一体何だ。もしここで生き方を更に変えるのだとしたら次は第三の人生だ。

(馬鹿馬鹿しい)

真っ当な社会復帰などお笑い草だ。五年に渡る戦いは水蓮アザミという少女を変質させるには充分過ぎる時間だった。アザミは寝ても覚めても、引退を迎えんとする今ですら思索する。ヴァルキリーとしての戦術を、敵をより効率的に撃ち抜く射撃の法を、猛攻から己を護る機動の術を。そして困ったことに、その思索が堪らなく楽しいのだ。

ヴァルキリーとして駆け抜けた。怖れがあった。嘆きがあった。色々なものが自分から零れ落ちていくことに悲憤の呻きを上げた。その反面、高揚もあった。愉悦もあった。自分がかつて持っていたものと失ったもの。果たして釣り合いが取れているのか、やはりアザミにはわからない。ならば自分というものを再び失わぬようにすることが最善ではないのか。そう結論付けたアザミは今の自分を偽る事なき言葉を男に向かって投げ付けた。

「……終わってはいません」

「うん?」

「私の戦いは、終わっていない」

思い起こされるのは真偶ナユタへの一方的な敗北。一矢報いることすら適わず地に倒れ伏した屈辱の試合。唯一の汚点だった。アザミとて無敗のヴァルキリーではなく、多くの敗北を経験してはいたが、全く手も足も出ずに完敗させられたのは後にも先にもあの戦いだけである。再戦が果たされることはなかった。あの試合からしばらくして、真偶ナユタはヴァルフォースの表舞台から完全に消え去ったからだ。風の便りにナンバーナインの企業軍に留まっているとは耳にしていたものの、だからといって接触の機会があろうはずもない。ナユタが消え去り、何よりもアザミがヴァルキリーとしての力を失った以上、再戦の見込みは皆無である。

だがアザミはナユタそのものに拘りがあるわけではない。アザミの心を鷲掴みにして離さぬのはナユタが駆使していた挙動である。あの時ナユタはアザミの意よりも速くアザミの動きを察知していた。無論、人間同士の競い合いにおいて相手の一手を予測しそれに先んじるのは当然行われるべき事だ。しかしナユタの動きはそんな一般的な読み合いを完全に超越するレベルにあった。それを可能せしめたもの。考えられる理由はただ一つ。

異能。ヴァルキリーに携わる者ならば程度の差こそあれ誰もが知る正体不明な天与の力。

あの動きを思い出すだけで心が昂ぶる。自分には決して真似の出来ぬ挙動。だからこそ挑む価値がある。打ち破る醍醐味が存在する。そして同時にアザミの胸の内では途方も無い怒りが鬱積していた。何が異能か。何が未来視か。そんな天賦の才覚一つであの女は自分を上を行ったのか。そんな理不尽を捨て置くことなど出来はしない。

(――引き摺り落とす)

見当違いな怒りである。当のアザミにも自覚はある。だが、やらねば気が済まないのだ。ヴァルキリーとしての適正が現れた時、アザミは己を巡る理不尽に振り回されるだけだった。翻って今の自分には意志がある。自分を失おうとしている状況が全く同じであるならば、今ここで降りることなく立ち向かい、絶望的な壁を乗り越えることがアザミにとって全ての過去を清算する唯一の手段であった。

「それは、また……どういう意味かね?」

「ヴァルキリーとしての力を失ったとはいえ、後進の育成を始めとして今後も那岐島に貢献したいと考えています」

「ふむ」

アザミの唐突な申し出を聞いても男の表情に動きはないが、声音だけは一段階低くなり、それまでの穏やかな労い一辺倒のものからアザミを試すようなトーンへと変化する。

「理由を聞こうか」

「そうしたいからです」

「曖昧だね。まあ明確に言われずとも想像は付くが。ナンバーナインの小娘に徹底的にあしらわれたことを根に持っているんだろう?」

「ええ、その通りですが」

即答であった。私怨だろうと言われて全く悪びれもしない。誤魔化しを最初から放棄した態度である。

「結構。正直なのは美徳だよ。余計なことまで自分から喋る必要はないが、今この場において偽らないということは重要だ」

だが男はそのことを咎めはしない。逆に迂遠で小器用な、あるいは偽りの忠誠に塗られた回答を聞かされても時間の無駄と切って捨てていたことだろう。

「……動機はなんであれ君が心の底から望んでその仕事をしてくれるというのであれば、それは我々にとっても歓迎すべき申し出だ。そんな子は滅多にいないからね。成り行きで軍に残る子も多少はいるが、大抵はろくに使えないか、さして長続きもしないかのどちらかだ」

それは過去の例に裏打ちされた事実である。兵士として優秀だからといって他の役割でも同じであるという保証はない。そもそも優秀な兵士の資質を示す者自体が稀なのだ。引退後におけるヴァルキリーの代表的な進路は大きく分けて二つある。一つは業界との縁を完全に断ち切っての社会復帰だ。年数の浅い者やヴァルキリーとして比較的平凡な者の多くはこの道を選ぶ。そしてもう一つは自分の顔と名声を最大限に武器とし政治、芸能、広報分野への進出を図ることである。無論、後者においてもその職業に応じた才覚は少なからず要求されるが、プロデュースを周囲に任せて飾られるだけの立場に落ち着くこともできるのが強みであった。故に引退後も継続して軍に残り、ましてや広報でもなく純粋にヴァルキリーの諸々に関わろうとする者は少ないというのが実情だ。殺伐とした業界に留まり続け、金銭的なメリットも少ないとあっては敬遠されるのも当然であろう。

「結局は意志の問題なのだよ。惰性や消極的選択で続ける仕事などろくなものにはならない。君はどうかな?」

「那岐島に残り、より優秀なヴァルキリーを生み出すことだけが今の私の望みです。……意志の証明はできませんが、その望みのためならば受け取った報酬を全て返納しても構いません。それでも足りなければ私のフェイムを剥ぎ取って頂いても結構です」

これまでのヴァルキリー稼業で稼いだ一生を安泰とするだけの金銭。アザミが持つ評判という無形の貨幣。その両方を捨てて退路を断つことも厭わぬという宣言だった。

「自我と目的に至る道だけがあればいい、か。君も随分と過激だね。入れ込みが過ぎるのも良くは無いが……そこまで言うのであれば機会は与えよう」

「では……」

「頭は悪くないと聞いている。まずは上代での高度研修をクリアしてもらおうか。それが出来れば君の意志を認めてもいいだろう」

「ありがとうございます」

「君は元ヴァルキリー、それも那岐島の権威を背負ったこともあるトップエースだ。相応の資質を示すことができればそれこそ生半可なキャリア組とは比較にならない速度で望む立場を得られるだろう」

勇者は崇められるものだ。人心を掌握する上で、命を投げ捨てて戦ったという勲章はいかなる時代でも比類無き威力を持つ。選挙に於いて元軍人が強い理由の一つである。

「金についてはそのまま持っていたまえ。君を別人にして評判を奪うような真似もしない。あまり横紙破りをされても困るが、多少の寝技くらいは多目に見ようじゃないか。あるものは有効に使うべきだ。まあ精々頑張ることだね」

「ご期待に沿えるよう努力致します」

「君の希望は確かに受け取ったよ。以後のことについては追って連絡する」

男が軽く手を上げる。面談は終わりという合図だった。これ以上この場で話すことはない。アザミがソファーから立ち上がり、退室しようと一礼する。床に向かって伏せられた顔の口端は僅かに上向き、自らの意志で自らの道を定めたことへの喜びを隠しきれずにいた。