夢ソフト

■ stairs of ambition

「どうして!? どうして倒れないわけ!? こんなの絶対におかしいじゃない!」

「いいですね。己の才に胡座をかいた怪物が狼狽える様は実にいい。凡夫の幸福を実感しますよ」

                         ――水無月ユーラと高天原ハルカ

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『ええ、はい……昼過ぎには現地入りの予定です。こちらを発った時点では彼女のコンディションにも問題はありませんでした』

引退の日から五年が経っていた。那岐島最強のヴァルキリーとして試合と戦場を自ら駆け巡った日々は既に遠く、しかし水蓮アザミは役割を変えて今もヴァルキリーを巡る仕事に関わり続けていた。

『今回は対策の立てやすい相手ですので。必ずや吉報をお届けできるかと。……はい、それでは失礼致します』

「……ふぅ」

通信を終えたアザミが椅子に深く背中を預ける。

「お疲れですか少佐殿?」

「まさか。報告の相手が相手だから少し気が張っていただけよ」

「つまり長官ですか」

「そういうこと。正式な報告は別で行ってるでしょうけど現場がどの程度強気かを確認したかったみたいね」

「それで何とお答えに?」

「まず勝ちますって言っておいたわ。これで負けたら私の面目丸潰れ」

「……そこまで言い切っちゃっていいんですか?」

「私は実際にそう思ってるからその通りに答えたまで。自信がなければ正直にそのことを伝えているわ。長官は嘘や誤魔化しが嫌いだもの」

「潔いですねホント」

アザミは那岐島の企業軍において着実に己の領分を広げていた。現在はヴァルフォースに臨む精鋭の育成と戦術の立案を主な担当とし、その滑り出しは上々だ。指標として測定可能なものは総じて上昇傾向にあり、事前予想の的中率も水準以上を保っている。だがアザミは現状に満足していない。手持ちのカードは未だに乏しく、一部の突き抜けたヴァルキリーを打倒するだけの駒と選択肢には恵まれていない。必要なのは更なる立場だ。少女と機体とその武装をゼロからプロデュースできるだけの権限を掌握すること。それこそが今のアザミが目指す次の到達点である。

引退後の水蓮アザミが先ず着手したのは自身の徹底的な強化だった。人間に与えられる時間は原則的に誰もが平等だが、擬似的に増やすことは可能である。視床下部を弄って睡眠時間を劇的に短縮するだけでもその効果は絶大だ。改造は全身の至る所に及び、特に重視されたのは己を司る脳とその他の神経系である。脳機能と演算装置の一体化による論理機能と記憶力の強化。神経伝達経路の増強と化学物質の適切な放出。常時加速化された神経はアザミに何倍もの思考時間をもたらした。代償として脳の耐用年数は確実に縮むが、アザミにとっては目を瞑れる範囲の問題だった。また突発的な死のリスクの軽減や健康維持、日常活動の効率化のために施された改造についても数え上げれば切りが無い。現在のアザミにとって軽く銃撃されたり車に跳ね飛ばされるという事態はそこまで深刻なものではなく、食事に必要な時間もほぼゼロに等しいものとなり、免疫機能の強化によって巷に蔓延るウィルスや細菌由来の病気にもほぼ無縁という状態だ。これら一連の改造に掛かる費用はそれこそ目玉が飛び出るような金額に上ったが、アザミはその全てをヴァルキリーとして稼いだ金の一部を充てることで顔色一つ変えずに自費で贖った。金で買える有利な修正は見境なく買い漁るというのがアザミの基本方針だ。しかし身体改造一つとっても先端かつ高度なものは順番待ちやパーツの調達に難儀するものだが、アザミは懇意としていた軍医達の口利きにより那岐島系列の基幹病院にて短時間の内に施術を済ませていた。

かくて万全の準備を整えたアザミは課された研修と試験を何事も無く通過した。周囲の反応は様々だったが、同期の士官候補生達は誰もが敬意か畏怖混じりの視線をアザミに向けた。家族が那岐島の社員であり企業国家に対する忠誠を動機として軍人を志した者にとってはアザミは文字通りの英雄だ。中には戦車乗りの父親が窮地を救われたという経緯でアザミを完全に崇拝する若者まで居るという始末であった。一方、忠誠や志ではなく立身出世目当てや成り行きで那岐島の門を叩いた者達からすればアザミは単なる異常者だ。ヴァルキリーとして幾度も死地から生還し、その見返りとして既に成功の果実を手中としたにも関わらず、自らの寿命を削ってまでわざわざ舞い戻ってくるとは酔狂にも程がある。アザミを気狂いあるいは大量虐殺者と揶揄して露骨な敵意を向ける者も存在した。しかしアザミ自身は己に向けられた注目に過敏な反応をすることはなく、少なくとも表面上は一介の士官候補生として振る舞った。為すべき事を為し、好んで苦労を買い、チームメンバーやバディには助力を惜しまず、適度な愛想を用いて周囲に接するその姿は優等生と評して妥当なものであった。そして教官達からの推薦を得たアザミは 統合参謀本部での下積みを皮切りに、低活性地帯でのオペレーションオフィサー等を経て現在に至る。

「そういえば少佐、今期のドラフトですが一位指名は本当にこの子で……えーと高天原ハルカでいいんですか?」

「ええ」

アザミの補佐が切り出したのは定期的に行われる社内ドラフトの方針についてだ。那岐島においてヴァルフォースに臨む少女を育成するチームは複数存在し、常にその成績を競い合っている。企業国籍者の徴用や同盟国からの融通、あるいは他所からの誘拐や買取などによって"仕入れた"少女達をどのチームに振り分けるかは今後の成績を左右する重要な問題であった。

「しかし彼女は実地教習で卓越した数字を残しているわけでもありません。元は陸上競技者なので基礎体力だけは他の子よりもありますが、他に見るべきところは……」

「どうせ今期は現状で超抜してる子はいないんだし、育てて強そうな子を優先するわ」

「それがこの高天原だと?」

「本人を見た上での判断よ」

「わかりました」

上官に対して異なる視点から意見を述べるのも補佐役としての務めである。しかしアザミがそう言うのであればこれ以上挟む口はない。どだいヴァルキリーの少女達が内に秘めた素質を見抜くことなど困難極まるというのが現実であり、となればヴァルキリーというものを身を以て熟知するアザミの直観を信じるより他にない。勿論アザミにはアザミなりの選択基準が存在し、現時点でのそれは少女達の能力を一切考慮しない完全な性格重視であった。