夢ソフト

■ prior knowledge(1)

「今でも充分忙しいのに、これ以上余計なことまで知って気苦労を増やしたくありませんよ」

                       ――月影アヤカ

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美澤エレナがヴァルキリーとしての適正を告げられたその翌日、照明の落ちた暗い部屋の中でエレナはソファーに身を預けて瞑目し、身体感覚を切りウェブマトリックス内への完全没入モードで情報収集に勤しんでいた。ヴァルキリーについて通り一遍の知識を身につけるためである。正式にヴァルキリーとなれば嫌でも必要な知識を叩き込まれることだろうが、予め把握しておいても損なことはないだろう。それまでの軍事的常識を一変させた強大な力とその担い手。時には国益を掛けて決闘制度の舞台に上がる少女達。とはいえ一般市民のエレナからすればそんなのは遠い世界の出来事であり、詳細について積極的に調べたことはなく、印象でしか知らないこともまた確かだ。世に存在する兵器についてその発祥と変遷、正確な能力について把握している女の子がいるとすれば、それはごく一握りの希有な例であろう。だが当人の意思に関わらず、ヴァルキリーの道に引きずり込まれつつあるエレナは今や渦中の当事者だ。ネットワークが充実し一般的な知識であれば二秒で答えを引き出せる時代であろうと学習というものは必要である。身体を制御する技能ソフトあるいは知識ソフトがどれだけ普及しようとも、非画一的な知見や予測を生み出す為には時間を掛け情報を噛み砕きながら自身の生体脳に知識を定着させるのが未だに最善の手段であった。

ヴァルキリーは六十年程前、正確には五十九年前に出現した。無論、当時はヴァルキリーという名は存在しない。それは後年名付けられた名称である。最初の事件は真州連合共和国の一地方で一人の女子学生が突如として人知を超える力を振るったというものである。細腕の女子学生が腕を振るえばその先の車両を吹き飛ばして治安当局の人員達を鏖殺せしめ、銃弾を撃ち込まれても全く平然としていたというその有様は、当時の常識を突き回すには充分な出来事だった。既に遍く個人に超小型のウェアラブルデバイスが行き渡っており、またサイバーウェアについても爆発的な普及が始まりつつあった時代である。事件の映像、詳細は瞬く間に世界に共有され、人々が困惑する間にも同種の事件は真州以外の各地でも発生した。事件はいずれも同様の展開を辿った。十代半ばの少女達が理性を失くした状態で周囲の目に付いたものを破壊し、時間の経過と共に突然死するというものである。この不可思議、不条理な事件に対して原因究明の手が尽くされたものの、全てが徒労に終わった。少女の死体を調べても異常な点は何一つとして見付からず、当時の関係者は途方に暮れた。

状況に進展が見られたのは最初から数えて七件目の事件が発生した時点である。カルディヤ連邦の大都市郊外にて、淡く発光する球形の物質が発見された。第一発見者は地元の女子学生四名。女子学生の内、好奇心の強い一人がその球体――後にコアと呼ばれるそれに指先で触れるや球体は形を失い少女の体内へと溶け込むように吸い込まれ、その後は前例に倣うような惨事が起こった。かくて原因は特定された。女子学生達は物珍しさから個人端末でリアルタイムの映像と写真を仲間内に配信していたため、この事件も発生したその日の内には世界中が認識するところとなった。この時、幸運にも生き残った女子学生の一人は、四人で林道を歩いていたところ突然コアが目線程の高さに現れたと証言している。

以後もコアの発見は場所を問わずにペースを上げて連続的に発生した。世間が年頃の少女達が身近なところで凶悪な災禍を招きはしないかと怯える一方で、当時勃興しつつあったメガコーポや国家という、社会の総体を具現した機関は未知の力を制御する術を発見することに邁進する。扱いを間違えれば大きな被害が出る危険物に対して彼らは体当たりのトライアンドエラーを重ねて知識を積み上げた。コアが認知されてから間もない内でも判別したことは多かった。真っ先に禁忌とされたのは人間がコアに直接素肌で触れることである。年頃の女性が触れた場合はコアは体内に吸い込まれ、その人物は不条理な力で暴れ回る。それ以外の、即ち男性や少女と呼び難い女性が触れた場合は完全に精神を喪失した。これはほぼ確実な現象だった。だが素肌で触れなければ危険はなく、要するにスコップに乗せるなどすれば持ち運びに支障はなかった。そして最初のブレイクスルーとなったのはコアは手を近づける少女次第で異なる明滅や色の変化を表すのを発見したことである。ならば何らかの共通的な変化や極めて特殊な変化を発生させる少女に手を触れさせれば違う展開もあるのではないかという、仮説というよりもはや単なる思い付きとしか言えぬ計画は実行に移され、その試みは巨大な成果を得た。無論、"こりゃ特殊な変化だ"との適当な判断で無理矢理コアに触らされ暴走した少女は多数に上ったが、命が安い国であればあるほど果敢なチャレンジを行うことを躊躇いはしなかった。そして得られた成果はコアを取り込んだ少女が力を制御できるようになった事である。少女の中には極めて低い割合で、コアに手を近づけるとその発光を微弱なものへと変化させる者が存在した。彼女達はコアを取り込んでも我を失うことはなく、程度の差こそあれ己の意思で力を振るうことに成功した。この発見が為された時こそ人の手により真にヴァルキリーが誕生した瞬間と言えるのかもしれないが、一体どの国が世界に先駆けてこの成果を得たのかは今も不明なままである。

力の制御方法が発見されたことでコアと一部の少女達は何としても確保するべきものとなった。コアについては人目のある場所ならば通報を義務とすればそれで済むが、問題は少女の方である。少女を一カ所に集めたり、さして数もないコアを全国巡業させるというのはあまりに効率が悪すぎる。そして”適正検査”は一度行えば済むというものではなく、ある時点では特に変わりの無い反応しか起こらなかった少女が後日適正を発現する例も存在したからだ。そこで開発されたのがコアを叩き壊してその欠片を近付けることで適正の有無を判別するという手法である。物理的な衝撃で無理矢理破壊したコアは少女との融合が不可能となるが、少女の適正を判別するための発光現象は維持される。つまりコアを限界まで細かく砕き、測定器として全国各地に備えることで適正を持った少女を迅速に発見可能となった。判別機能に関してはコアの破片が砂粒程度になっても問題はなく、そこまで砕くと肉眼では変化を捉えることはできなくなったが、むしろその方が都合は良かった。変化の度合いを機器で記録し、判定結果を暗号化して中央に送ることで余計な情報漏れを防げるからだ。現在では検査機器はボールペン程度のサイズにまで小型化され、また変化パターンの解析も進んでいる。変化は適正発現時を除けば指紋と同じように各人に固有のものであり、また性別や年齢の算定も可能なため検査逃れや誤魔化しは困難だ。検査機器の数には限りがあるので余程の僻地に居住していれば検査を免除されるケースも存在するが、大部分の少女にとって検査は逃れ得ぬものとなっている。

ともあれ適正のある少女が己の意思で映画顔負けの力を操れるようになったはいいが、依然として解決すべき問題は多かった。ヴァルキリーという"兵器"を生み出すための試みはようやくスタートラインに立ったばかりでる。コアとの融合を果たした少女は大きな力を手にしたものの、彼女達は現代のヴァルキリーに比べて遙かに脆弱だった。生身で銃弾を弾く。確かに対したものである。しかし更なる大火力を涼しい顔で受け止めることはできなかった。暴走した少女や実験体が野戦砲や航空爆撃に耐えきれぬことは確認済みである。目指すは更なる飛躍であった。少女達を研究の材料に供することを良しとせず、コアを巡る技術を廃絶しようとする世論と活動も当然のことながら存在したが、ヴァルキリーの開発に突き進んでいく潮流を抑え込むことは叶わなかった。なぜならば人類はコアの可能性を追求することを決意するのに充分なものを目にしたからだ。即ち永世者の登場である。