■ prior knowledge(2)
「私は意識の大海を覗く。深く、深く、より深く、果ての深淵に至るまで! 我が弾道は螺旋の牢獄。汝、活路見出すこと能わず!」 ――桜庭エリカ、ジルベリカトライアル本戦
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永世者は有史以前からこの世界に潜伏していたと言われているが、公の場へと明確に姿を現したのはコアが発見されてから一年後のことである。そして人類にとって永世者との最初の接触は一方的な破壊を振りまかれるものとなった。まず異常を察知したのは各国に配備された防空システムである。北方の極点近くに突如として詳細不明の飛行体が現れ、それは宇宙用を除けば軍用を含めたあらゆる航空機でも到達不可能な速度で世界中の空を巡り始めた。飛行体の発見から暫くは何処かの国による軍事的な強行偵察の類かとも推測されたが、飛行体は複雑な軌道を描きながら丸二日に渡って飛び続けたことにより、現代科学の限界を遙かに超えた不可解な物として認識される。そして飛行体が人の手による兵器の類ではなく、非常に馬鹿馬鹿しいことだが異星人か何かであるという可能性が真剣に検討され始めた頃、飛行体か前触れなく射出した物体が次々と着弾して巨大な火柱を巻き上げた。飛行体が射出した物体は合計で七つ。その大半は無人の砂漠や原野あるいは海面に着弾していたが、一つは都市部を直撃して人口二百万都市を灰燼に帰した。飛行体の登場以来、民間の航空路線は軒並みストップを余儀なくされ、また軍事面についても各国が警戒レベルを引き上げスクランブルを繰り返すことで相当に混乱していたが、直接的な大破壊が行われたことで過熱感はいよいよピークへと達し、誰が敵かもわからぬまま先制攻撃と報復攻撃の応酬が行われても不思議ではない状況へと転がり落ちた。それでも幸運な事に最後の一線を破る者は遂に現れず、飛行体は"攻撃"を行ってからこれまた何の予兆もなく爆発四散し、破片一つ地上に落とすことなく大空の中で燃え尽きたのである。
かくてアンノウンは消滅したものの、それで全てが丸く収まるわけもない。現実として世界の七カ所が灼かれ、瞬時の死者数としては人類レコードを大幅に更新する事態となったのだ。飛行体の出現以来、緊急招集されていた国際機間の安全保障会議は誰もが疑心暗鬼に囚われ、建設的な合意形成など全く期待できない有様だった。そして飛行体の消滅から更に一日が経過した時点で起こった出来事が次の転換点となった。会議の最中、正午丁度に各国代表が囲む円卓の中央へと一人の女性が突如現れたのである。女性の現れ方はその場に居合わせていた者の理解を超えていた。姿を現すまで誰にも気付かれることはなく、しかし場の中心にいつの間にか立っていたのである。女性は容姿もまた特異だった。頭髪は宝石じみた翠緑に彩られ、彫刻家にでも彫らせたのかと錯覚しても不思議では無い程に整った肢体を流体のような衣類で包み込んでいた。突然の乱入者に警備スタッフや会議参加者は一瞬色めき立ったが、すぐに誰もが口を噤んだ。当事者が後に述懐したところには、この時なぜか声を出すという思考に至ることすらできなかったという。
場が静寂に包まれたところで女性は流暢な国際公用語で周囲に語り掛けた。その内容とは以下の三点である。まず先日の飛行体は人類が関与するものではないこと。次に飛行体は既に完全に消滅し今後二度と同じ個体が現れはしないということ。最後に自身の言葉に説得力を持たせるため今から一日に渡って変わったものを見せるということ。女性は語り終えるや現れた場所からついぞ一歩も動くことなく消え去った。何一つ要求はせず、言いたいことだけを一方的に告げ、一切の質問も受け付けはしなかった。女性が消え去ってから会議場の面々は誰もが口々に今のは何者かとざわめいた。そして女性が語った内容について、一点目については信じようにも証拠がない。二点目についてもまた同様である。しかし間もなく各地よりもたらされた種々の報告により、少なくとも三点目については、女性が引き起こしたものかどうかはともかくとして真実と証明されたのである。この日、真夏の都市や雨粒すら滅多に降らぬ砂漠に対して多量の雪が降り積もり、大地を白く染め上げた。
会議場に現れた女性が何者であったのか。それは現在に至るまで不明のままである。女性が衆人環視の中に姿を現したのは一度きりであった。だが永世者の内一人であろうということについては今では誰も疑いはしていない。そして事の発端となった飛行体についてもおそらく永世者もしくはその武装であったのだろうという見解が主流である。飛行体は同類の永世者と仲間割れの末に敗れた、あるいは粛正されたという説を唱える者もまた少なくはない。
いずれにせよ人類が積み上げてきた常識はこの日を境として完全に崩壊した。これまでにもコアや暴走する少女達という現実離れした物を散々見せ付けられはしたが、それらは比較的スケールの小さい事件であった。だが、謎の飛行体と各国の高官の前に姿を現した女性は、これまでとは段違いの破壊と怪奇を見せ付けたのである。疑いの余地は最早ない。少女達を生贄に捧げてでも未知の力を解明することは何よりも優先して進めるべき急務となり、ヴァルキリーの開発は加速していった。 |