■ prior knowledge(5)
「随分と偉くなったものよね、ウルスラ。そうして手にした権力で、一体何をしたいのかしら」 「だぁい ☆ せん ☆ そう ♪ ……冗談よ、そう睨まないで頂戴」 ――於真州連合共和国首相官邸執務室
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ヴァルキリーが登場しヴァルフォースが制定されるまでの三十年余りは、星の地表で生きる者達にとって最も熾烈な時代となった。秩序を維持する為の国際機関、情報通信と金融システム、その全てが崩壊と復旧を繰り返す憂き目に遭い、事あるごとに引き直される国境線は子供の落書きかと見紛うばかりに踊り狂った。失われた人命は十億単位を数え、経済的な損失を計ろうとしてもその難行ぶりに誰もが匙を投げた。
大乱の引き金となった最初の攻撃が行われた経緯については諸説紛糾し今なお議論の対象となっているが、或る年始に先進各国の各種インフラが一斉にシステムダウンしたことが災厄の幕開けとなった。ネットワーク越しによるインフラへの大規模な破壊行為に如何に対処するかという問題は既に国防上の重大なテーマの一つとして認識されてはいたものの、主要国間の全面的な衝突による戦訓が存在しない故に事前の対策は不十分なものとならざるを得ず、結果としてもたらされたのは一時的な情報の断絶である。目と耳を塞がれた暗闇の中で、人々の大半は恐慌に駆られて判断を誤った。見えぬ相手との協調よりも周囲の脅威を全て除くことが身の安全を図る最善の手段と信じる者達はヴァルキリーによる先制攻撃を断行し、その行為は瞬く間に伝染して同種の攻撃と報復が繰り返された。ヴァルキリーが従来の戦略兵器と同様に厳重かつ複雑な管理の下で運用されていたのであれば状況に歯止めが掛かることを期待できたのかもしれないが、一度完成品を装備すれば少女の意思一つでヴァルキリーは十全の力を発揮し、洗脳でも施さない限りは外部から制御する術も皆無に近いことが事態を悪化させる原因となった。命令を無視した稚拙な独断、精神的に破綻しての暴走、逃亡の末に偏った思想に基づく聖戦あるいは解放運動への参加など、不測の事態を招く要素は枚挙に暇がなかった。
この混乱の渦中に於いて比較的優位に立ち回ったのは時代の寵児たる企業国家である。彼らとて世界を支えるシステムの半壊により従来国家と同様に大きな被害を被ってはいたが、広大な国土や民衆という余分な荷物を持たぬが故に身軽であり、既存の倫理を全く無視した放埒な行動を臆面も無く取り続けた。パワーバランスの調整を兼ねてヴァルキリーを次々と売り捌いた那岐島やナンバーナイン、工場設備を含めた全てを移動式の洋上プラットフォームに移設し以後二十年に渡って沿岸国家を次々と侵略し続けた朱紅などはまだ穏当な方であり、支配者交代前のインテグラルに至っては膝下に組み敷いた国家の人権に値札を付け先物取引に供して人口補充を支援するという奇怪なスキームを生み出す始末であった。
しかしメガコーポとて常に一方的に他者を踏み付け己の立場を盤石としていられたわけではない。必要最低限の通常兵力を保有はしていたが、武力の多くをヴァルキリーに依存していた彼らにとって、ヴァルキリーの力が大きく抑制される低活性地帯の発生は顔面を蒼白にして慌てふためくのに充分な出来事だった。低活性地帯の面積は星の約三割を占め、地勢的にも重要な箇所が多く含まれていたことから、そこは瞬く間に通常兵器とヴァルキリーが入り乱れる戦場と化した。また次々と世界の表舞台に姿を現し始めた真性の怪物、永世者達への対処も頭の痛い問題となった。彼らは彼らでメガコーポと同等かそれ以上の傲慢ぶりを以て振る舞い、世界の混乱に拍車を掛けた。自らを神と称し小国家に庇護を与え、一つの大陸を全土制圧の後に閉鎖したミリシア。手段を問わず世界中から移民と資本を掻き集め、無秩序極まる都市国家を造り上げたジルベリカ。中には戦禍を眺めるのが何よりも愉しいと言い放ち、方々で揉め事を誘発させては燃料を注ぎ続ける放火魔のような手合いも存在した。そして真州列島に根を張る龍殃は己の保持する資産の大半を一斉に叩き売ることで市場を大混乱に陥れ、初期のメガコーポの内半数が瓦解もしくは所有者の変更を余儀なくされた。一連の騒動はグランドシャッフル、または事情をよく知る者からはドラゴンカタストロフと称され、この時に誰よりも迅速かつ強欲に火事場泥棒を成し遂げたのが企業国家インテグラルを掌中に収めた永世者L2と、後に国家企業法廷の設立を支えた宝鏡メイである。
そして世界がヴァルキリーを駆使した戦争に明け暮れる合間に他分野の技術も進歩を果たした。特にサイバーウェアとバイオウェアによる人体改造、即ちオーグメンテーションは個人の能力を超人と呼べるレベルまで引き上げることに成功する。企業国家はヴァルキリーという戦略兵器を構えると共に、足元では膨大なコストを投じて養成した超人達を次々と非合法な工作活動に従事させた。有力な競合が現れれば社屋ごと吹き飛ばし、卓越した研究者が居れば一も二もなく拉致を企てるなど、一事が万事その調子であった。今や一定の規模と価値を持った活動を行う場合には直接的な妨害に耐えうる武力の確保が何よりも必要とされ、あらゆる分野でこの過酷な参入障壁を維持しているという点において企業国家はいずれも共犯の関係にあった。とはいえ傍若無人を重ねる企業国家も延々と続く混乱期から脱却したいという意志は有していた。大乱を勝ち抜き優位を確立し終えたとなれば次に望むものは適度な安定である。全てのメガコーポと幾つかの大国、そして数名の永世者は水面下での交渉を開始させ、管理された闘争へと至る道を舗装していった。 |