夢ソフト

■ prior knowledge(6)

「そんな小細工されたって……ぜんぶ吹っ飛ばしちゃえば関係ない!

 オーバーキャスト、カウントダウン! 十! 九! スキップ! ファイア!!」

               ――柏木クルル、ジルベリカトライアル本戦

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国家間の悶着を少女の刃に託して処理をする。その取り決めが世の知るところとなった時、大半の人々は同様の言葉を口にした。およそ正気の沙汰ではない、と。しかし現状の混乱が多少なりとも収まるならばこの際手段は何でも良いというのもまた偽らざる本音であり、世間の話題はその取り決めが確かに実行されるのだろうかという点へと移っていった。

代理決闘制度ヴァルフォース。この奇怪な制度を何者が最初に構想したのかは不明である。だが少女達を生贄とした平和を実現すべく共同歩調を取った最初のメンバーが那岐島、オルニック、インテグラル、そして宝鏡メイの四者であったことから、この中のいずれかが企てたプランであろうことが推測された。彼らは自分達が纏め上げた制度の概要をメガコーポ各社に通知し同調を迫った。世のあり方を変える計画を一方的に提案された事に対して各社は少なからぬ反感を抱きはしたが、その提案を拒絶した時に何が起こりえるかを考えれば受け容れるしかないというのも事実であった。当時のメガコーポは全部で九つ。その中で上位の三社が既に足並みを揃えているとなれば、対抗するには残りの五社以上が協調し、他に有力な永世者を引き込みどうにか五分というところである。オルニックとインテグラルはヴァルフォース制定に先んじること数年前に事実上の同盟関係を結んでいたが、まさか彼らと犬猿の仲である那岐島と、何を考えているのか皆目見当の付かぬ宝鏡メイが加わってまで一つの計画を押し通そうとするとは全く想像の埒外だった。ここで身の振り方を間違えて一人だけ仲間外れにでもなれば袋叩きの目に遭うのではないかという恐怖と、どうせ抗うのが難しいのであれば早々に同調して己に有利なルールをねじ込みたいという打算が残り六社の背中を押した。結果、通知から僅か一月で全企業国家による基本的な合意が形成され、そして全てのメガコーポが賛同したとなれば従来国家にそれを拒絶する力はない。これまで散々苦汁を舐めさせられた挙げ句にろくな賠償もされぬまま”今後は平和的にやろうぜ”と厚顔に言われて簡単に納得できる筈もなく、大小様々な国家が荒唐無稽な計画を押し通そうとするメガコーポに対して抗議の声を張り上げたが、大勢は既に決していた。間もなく国家企業法廷の設立が世間に公表され、ヴァルフォース制度の運用に向けて本格的な準備が開始されることになった。

とはいえ国際紛争の決着を少女達の戦いに一から十まで委ねられるわけもない。勝てるのであればそれで良いかもしれないが、問題は負けた時である。あらゆる行為にリスクは付きものであり、何らかの備えを行うか世に溢れる金融商品を用いることでそれもある程度は軽減可能だが、既に誰もが可能な限りの信用創造を尽くして相応のポジションを取っている。必要とされたのは新たな器であった。少女達による表舞台の戦いをヴァルフォースの華とするならば、その制度を支える根幹は舞台裏にこそ存在した。法廷はヴァルフォースを通じて紛争の裁定を下すと共に、制度参加国から集めた拠出金を再分配するという役割を担う。だが、このプロセスの実態は巨大な賭博以外の何物でもなかった。制度参加国は試合の勝敗を予想して賭けを行うことを義務づけられ、その結果に応じて分配を受けるのだ。賭けは試合の当事国であろうと行うことが可能であり、己の敗北を前提としてチップを積むことも許された。賭けは複数の試合がワンセットとして行われる。もし自身が当事国であり、試合の敗北で生じる有形無形の損失を定量化して仮に百とするならば、実際に敗北した場合は賭の方で百のリターンを得られるように張り込むことでリスクヘッジを行える。無論そこまで綺麗に帳尻が合うことは稀であり、時には大波乱や計算違いによる多大な損失も発生したが、単純に試合のみを行うのに比べて偏りが減少することは確かだった。

また拠出金という名目で集められる賭金は、そもそもが制度開始時に法廷が参加者に対して貸し付けた新通貨であり、参加者はこの通貨を制限の範囲内で任意に使用することが可能となっていた。平和故の恩恵か、恩恵故の平和なのか、卵が先か鶏が先かはともかくとして、制度による安定を背景とした大幅な信用枠の拡大こそがヴァルフォースの本質であり、これが経済を強力に駆動させるが故にヴァルフォースは現在も存続しているのである。だが形態はどうあれ新たな通貨を発行するのであればそこには何らかの裏付けを必要とする。ここで大きな役割を果たしたのがヴァルフォース制度の推進を目論んだ最初の四者である。もし不測の事態によって通貨価値が著しく毀損されるようなことがあれば、彼らが身銭を切って補償を行う義務を背負ったのだ。同時に彼らは制度を脅かす存在を排除すべく、法廷の内部に強大な権限を付与された機関を設置した。即ち世に怖れられる法廷の実働部隊、国家企業法廷執行局である。ヴァルフォース制度が安定して久しい現在ではその活動は比較的平穏だが、設立当初の執行局は秩序維持を名目に世界中の誰もが鼻白む程の制裁行為を躊躇なく繰り返した。ヴァルキリーである少女達を除き、執行局の職員は特定の国家に肩入れすることがないよう精神深部に強固なサイコアプリケーションを埋め込まれているため、時には那岐島やオルニックに対して牙を剥きかけることも稀ではなかった。

そしてヴァルフォース制度の開始から二十余年。当初は計画を推進した四者のみに課せられていた補償義務も現在では全ての企業国家とその他少数のプレイヤーが等しく背負い、制度の維持に努めている。この合意を保つ労力と法廷の運営コストこそが即ち平和の値段であった。ヴァルフォースによって全ての戦禍が根絶されたわけでもなく、今も様々な規模で物理的な衝突が方々で発生しているが、それでも以前よりは平穏となったのは確かである。混乱期ならばある日突然に一つの国が消滅するという事態が年に数度は発生していたが、今では年に一度あるかというところであり………

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……

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(あーーーーーーーー、もーーーーーーーーーー!!!!!)

資料を読み進めていた美澤エレナは心中で大声を張り上げた。そして取り敢えず理解したことがある。この世でヴァルキリーの少女達は程度の差こそあれ生贄だ。当事者としてはたまったものではないのだが、それは逃れ得ぬ事実だった。ヴァルキリーという兵器は人が持ち得る最大最強の力である。故に何事を決するにもそこにヴァルキリーが存在しない限りは誰もが納得しないのだ。そしてヴァルキリーという兵器がいかに強力であろうとも、それを駆る少女達は生身を持った一個人に過ぎない。少女達の力に永遠はなく、また大半の少女は他人との繋がりを断てる程に強くはない。だから道具として扱われるのだ。その境遇から抜けだそうと全てを賭して戦った少女達も過去には確かに存在したが、いずれも失敗を余儀なくされていた。現状を打破するには全てのヴァルキリーと永世者達を排除する必要があり、そのような試みを真面目に行う者がいるならば相当な理想主義者か過激派かもしくは気狂いに違いない。流石にエレナもそこまでぶっ飛んだ行動をする気など毛頭なく、あるいは反逆するとしても死ねと命じられるその時までは大人しく従うことを決めていた。

(えーとヴァルキリーとか軍事系の専門誌ってそもそもどういうのがあんのよ……)

ウェブマトリックス上で必要な情報を求めて彼方此方を遷移し、支払いを済ませては一心不乱に資料を読み漁る。知識で己を鎧い知恵の刃を研ぎ澄ませ、そして最後は体力と根性を頼りに乗り切るのだ。やらぬ後悔より捨て身の努力。誰かが助けてくれるなどと思うなかれ。それこそがエレナの信じる苦難への処方箋だった。