■ School life ? (3)
「身分を偽り暗躍するアンダーカヴァーこそ隠密の華。かっこいい。まさに私にふさわしい任務」 「お前の機体は、お前の姿を隠してはくれるが、お前の出すボロまでは隠せないわけだが?」 ――夜霧シズカと担当官
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「建物自体は古いけど中は結構しっかりしてるのよ。私達の部屋は二階の一番奥」 「はあ」 「荷物はそれで全部?」
エレナが肩に掛けた鞄を見てセシルが尋ねた。
「そうですけど……」
少女一人でも苦も無く持ち運べるトラベルバッグに収められた最低限の衣類と日用品。それが今のエレナの物質的な全財産だった。ヴァルキリーと知らされたあの夜に襲撃を受けてから、エレナは一度も自宅に戻っていない。まさか私物を何も持たずに暮らしていたわけでもなし、流石に一度くらいは帰らせて欲しいとエレナも訴えたが、保安上の理由か政治上の理由かあるいはその双方か、結局エレナの帰宅が認められることはなかった。代わりとしてエレナが軍病院に入院している間に私財が乱雑に詰め込まれた幾つかのダンボール箱が届けられ、もしエレナが望むのであれば全ての荷物を引退まで保管すると当局者からの申し出もあったが、エレナはそれを断り必要最小限の物を選り分けてから残りは全て処分するよう頼んでいた。どうせ自分の暮らしが何もかも変わってしまうのならば徹底的に身軽になって気分を切り替えようと考えたからだ。
「必要なものがあったら後で揃えます」 「そうしなさい。私達の部屋、スペースはかなり余ってるし」
少女一人で苦も無く持ち運べる荷物。それが今のエレナの物質的な全財産である。しかしそれはあくまでモノという形を持った財産がごく僅かというだけであり、美澤エレナという少女が一文無しであることを意味するわけではない。買い物の必要に思考の及んだエレナが端末を介して自分の口座残高を確認する。そこには何度見返しても馬鹿馬鹿しい数字が記載されていた。少なくとも一括払いで家は買える。大規模に興行化された人気スポーツで期待の大型新人に送られる契約金と比べても遜色はない金額だ。そして今後もエレナには平均的なメガコーポの管理職と同等の、あるいは活躍次第でそれを遙かに凌ぐ俸給が支払われることになっていた。ヴァルキリーになるとはそういうことだ。多くの人口を抱える真州においても現役のヴァルキリーは百人を超える程度に過ぎず、その稀少な才能を繋ぎ止めるため少女達の懐へと直接注ぎ込まれる金は国防費全体からすれば微々たるものなれど、少女達の人生を翻弄するには充分だった。
(どうしろっつーのよこの金額……)
真っ当な保護者が居るのであれば金のことはそちらに任せて自分は何も考えずに済んだのかもしれないが、残念なことにエレナにはその当てがない。先日までエレナの面倒を見ていた元保護者の叔父は、エレナがヴァルキリーになるや保護者の務めを放棄したという。もっとも叔父に関しては放棄云々以前に現在音信不通という有様で、一応エレナも気にはなって叔父がどうしているのかを田中イチローに尋ねてみたものの、返ってきた言葉は「知らん」という実にシンプルなものであった。エレナはその答えを聞いた時点で叔父の消息ついては当面触れないことにした。それが真実か否かに関わらず、知らないという回答は明らかに危ない。少なくとも真相を穿り返したところで愉快なものは何一つとして出てこないだろう。いずれにせよ今のエレナには頼れる者など誰一人としておらず、エレナは自分の口座に突っ込まれた金を手ずから管理する必要に迫られていた。
「ここよ」
廊下の最奥にある部屋のドアをセシルが開く。
「お邪魔します……」
今日から自分の部屋にもなるとはいえ、現時点でのそこは先住民であるセシルの縄張りだ。エレナは心持ち肩を縮めながらセシルに続いて部屋の中へと入り込んだ。
「あるものは適当に使っていいし、空いてる場所も好きに使っていいわよ」 「………」
エレナは荷物を下ろしながら部屋の中を軽く見回す。机、椅子、寝台にサイドテーブルと、基本的な家具は揃えられているため殺風景という程ではないのだが、ここは一時的な宿泊施設かと一瞬錯覚してしまう程度には生活感に乏しい部屋だった。セシルの私物と思しき物は目に見える範囲だとサイドテーブルの上に置かれた幾つかの人形のような何かくらいである。
「すごく片付いてますね」 「そう?」
余分な物を持たないことを是とするミニマリスト達は今時そこまで珍しいものではない。セシルもその手合いだとすればおかしなところは何もく、シンプルなのが好きな人と表現すればおしまいだ。それでもエレナの胸には何か違和感が湧き上がっていた。あるいは違和感ではなく既視感とでも言うべきか。極端に片付き、主がある日突然いなくなっても全く問題ないのではないかと思わせるような部屋の持ち主にエレナは心当たりがあった。自分の元保護者である。
(同類……ではないと思うんだけど)
そもそも性別が違う。愛想もある。口数も少なくはない。一見した限りでは全く異なるタイプの人物だ。それでもエレナの本能は目の前の少女をあの叔父と同じカテゴリーに分類すべきではないかと警報を鳴らしていた。即ち異常者や変人という名のカテゴリーである。だが初対面の人物、しかも当面一緒に暮らすという相手をいきなりキジルシかその予備軍扱いするのもどうなのよと思い直したエレナは、セシルのパーソナリティーについては深く考えることを一旦保留した。
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「―――大体のことは説明したと思うけど、他に気になることはある?」
食事に洗濯、掃除に門限、日々の授業に至るまで、寮生活と学生生活の心得について大雑把な説明を終えたセシルが手近な椅子に腰掛ける。
「えーっと、ヴァルキリーのことについては……」
これまでセシルがエレナに説明した内容は一般的な生活面に関することばかりであった。正直なところエレナとしてはそんなものはどうでもよかった。何か問題があってもある程度は自力で解決できる見込みがあるからだ。だがヴァルキリーとしての心得となると皆目見当が付かず、何か有り難い教えやゴールデンルール、適切な身の処し方があるのならばそれをさっさと授けて欲しいところであった。そんなものがあるならば、だが。
「ヴァルキリーねー……そっちの方は入ることが義務付けられている部活動くらいの気分で適当にやればいいんじゃないかしら」
寮生活のレクチャーを行うのと全く同じ雰囲気でセシルが言い放つ。
「適当に、って……雨宮さんはそうしてるんですか」
そんなんでいいのか流石にそれは気楽すぎやしないだろうか他人にそうアドバイスするくらいなら自分でもそれを実践してるんだろうなコラと思いはしたが、努めて冷静にエレナはセシルに問い掛けた。
「まさか」 「………………」
この人適当どころか何も考えていないのか、あるいはアドバイスする気など最初からないのか、さてどっちだとエレナが一瞬考え込む。
「やり方とか段階は人によりけりだもの。私はそもそもヴァルキリーをしている感覚というのがあまりないから、今の私のやり方を教えたところで何の役にも立たないと思うのよね。少なくとも心構えとかそういう部分に関しては。だから美澤さんの場合、自分がヴァルキリーであることに対して肩肘張らずにいられる状態になるのが最初のステップなのよ」 「なるほど」
確かにそうかもしれない。達人と初心者では視座や立ち位置が異なるのは当然のことだ。となるとセシルはどこまでも実直にヴァルキリーとしての活動に取り組み続けているのだろうか。
「……と、もっともらしく言ってみたけど、さっき田中さんに『おい雨宮、もし美澤がお前にヴァルキリーとしてのアドバイスを求めてきたら何かそれっぽいことを言って煙に巻いておけ』って言われてそうしただけだから、本気にしちゃダメよ?」 「正直なんですねあんた!」
どうやら適当なようだった。 |