■ School life ? (4)
「顕守島行きとなると普通の空路だと間に合わないので一旦宙港まで出る必要がありますね。 一応下記の乗り継ぎで行けると思います。タイトなのでターミナルを走り回ることになりますが」 ――ベストアンサー
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夢とも現ともつかない思考が徐々に鮮明となり、意識が覚醒へと向けてひた走る。温い布団の感触を全身で感じながら瞼を開き、美澤エレナは目覚めた。
「うー…………あー………」
目覚めるや口元から呻きともつかない気の抜けた声を漏らす。二度、三度と身体を捻転させて心底気怠そうにするその姿は普段のエレナからは到底想像し難いものである。
特に朝が弱いというわけでもないのだが、美澤エレナは毎朝こうだ。完璧とまではいかなくとも優秀な外面を保つために人前では気を抜かず、また一人であっても怠惰を戒め為すべき事に邁進するのが美澤エレナのスタイルだ。だからこそ、せめて起き抜けの僅かな時間くらいは徹底的に弛緩して怠けるというのを味わってもいいんじゃないのというのがエレナの主張である。バネ仕掛けのミニカーの如く、ここでぎりぎりと動力を蓄え、日中はその力で走りきる。そのために今この時の堕落は美澤エレナにとって必要不可欠で、咎められるいわれなどありはしないのだ。無論、そんな主張を他人に聞かせたことなど一度もないが、自分に一時の怠惰を許す根拠としてはそうなっていた。
「むー………う゛、うう゛う゛ー………」
うなり声を上げて半身を起こす。頭まで被っていた布団の下から現れたエレナの表情は、まるで冬眠を途中で妨げられた熊に勝るとも劣らないものである。何かちょっかいを掛けられれば巨木を折るような勢いで殴り掛かってもおかしくないような顔つきだ。
「すぅ………」
目を閉じて一際大きく息を吸い込み、そして長く、長く、吐き続ける。肺腑が真空になったような感覚を覚え、鳩尾がへこみきったところで再び勢い良く空気を吸い入れる。
「???よっし!」
まだ身体に半分被さっていた掛布団を引き剥がす。跳ね出すようにしてベッドから降りてスリッパを履き、立ち姿となったところで首を巡らせ身体を捻り、五体の調子を確かめる。寝起きの気怠さこそ若干残ってはいるが、体調自体は万全だ。今日という一日を乗り切るのに充分なコンディションだった。
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朝のルーチンワークをこなしながらエレナは自分のベッドとは反対側の領域を見る。そこにはルームメイトたる雨宮セシルのベッドがあるものの、そこにセシルの姿はなかった。エレナの寮生活が始まってから既に数日が経っていたが、起床時にセシルが居ないというのは今日が初めてのことではなく、というより毎日そうだった。
(あのひとねー………もう人じゃないでしょ絶対)
それがセシルと同室で数日過ごし、また可能な範囲で彼女についての評判を集めた上での結論である。とにかくやることなすことに隙が無く、あらゆる物事に対して百点満点中九十五点以上をコンスタントに叩き出すような超人だ。学業面は言うに及ばず、肝心のヴァルキリーとしての働きについても現実的に望み得る限りでセシルは文句の付け所が無い成績を残しており、加えて何か競技会でもあれば仮面の助っ人として学内の部活動チームに混ざっているという噂まで耳にする始末である。一体セシルのどこにそんなヒマがあるのかエレナは疑問にも思ったが、この数日でセシルが睡眠あるいは休息しているような姿を一度として見たことがないのも事実だった。
美澤エレナは自惚屋ではないが自信家である。同世代前後の少年少女達という条件さえ付けば、明らかに自分の上を行くという相手にエレナは出会ったことが無い。知能あるいは身体能力で局地的に自分を上回る相手ということならば幾らでもいたが、トータルで自分を凌駕するような、逆立ちしても敵いそうにない相手というものに遭遇したことはなかった。しかしそれも先日までの話である。セシルの方がやや年長であることを考慮しても、エレナとセシルの間には埋め難い差が存在していた。
(参考にするところは参考にして上手く付き合っていきますか、と……)
いずれにせよルームメイトが底抜けのバカではないのは幸運なことである。もしルームメイトが真性のろくでなしだった場合はまずそいつを追い出すという企てに時間を取られていたかもしれないわけで、そんな後ろ向きな活動をしなくて済むのはエレナとしても有り難い。戦いはいつも不毛なものだ。子供の頃から今に至るまで何事かあればクラスのガキ大将を鉄拳で制圧し、あるいは舌鋒鋭く言い負かし、もしくは水面下で陰湿な嫌がらせをされれば必ず逆襲して無慈悲な制裁を加えてきたが、戦いの後は常になんでこんなめんどくさいことしなくちゃなんないのよと嘆息していたので余計な諍いは起こらぬ方が良いのである。
(んで今日からようやく本格的にヴァルキリーとしての訓練ってわけね……)
一日のスケジュールを確認する。午前中は学生として今後の学習カリキュラムを決定する為の試験が組まれていたが、午後については夕方以降が詳細不明の予定で埋められており、その予定作成者が山田、もとい南雲カレンとなっているからにはヴァルキリー絡みの何かがあると見て間違いはなかった。
(……ん、ん?)
だが予定には昨夜の内に修正が加えられたようで集合場所の再設定が行われていた。
「……はぁ!?」
変更された予定を見たエレナが目を見開き声を上げる。その再設定されていた集合場所というのが冗談か何かとしか思えぬ場所だったからだ。ここから遙か南方の赤道を越えた更に先、真州領土の中でも最南端に近い群島のうち一つの顕守島。昨夜の時点での集合場所は寮のロビーとなっていた筈だが、それがどうして南国の、定期便が存在するのかすら怪しい僻地の島に変更されているのか。答えは予定備考欄にあった。
“雨宮さんの試合が急に行われることになったので集合場所を変えます。時間の変更はありません。移動には公共の交通機関を使ってください。 ――南雲“
(いや、ちょっとおかしいでしょこれは)
果たしてこの指示を鵜呑みにしていいものかと流石に迷ったエレナが南雲に向けて通話要請を入れるが、取り込み中なのか応答がない。ならばと次は田中に狙いを定めて発信し、こちらはワンコールで繋がり双方の回線が開かれた。
『何だ』 「あのー、今日の午後の予定なんですけど」 『ああ、それがどうかしたか?』 「…………」
どうやらこれ以上の質問をする必要はなさそうだった。男の澄ました反応からするとこの予定には何もおかしなところはない、ということなのだろう。
「いえ、なんでもないです……」 『そうか』
つまり書かれている通りに現地へ行けということだ。田中と通信するのに並行してエレナは件の集合場所へのルートを探し始めるが、どう見てもすぐに行けるような場所ではない。
『美澤』 「……はい?」 『俺はお前が時間厳守の女だと信じているぞ』 「当たり前じゃないですか」
当たり前と返すエレナだが、声音はともかく表情は半ギレ気味である。時間通りに現地入りする気であるならば最早一刻の猶予もない。ランニングスーツを着ただけで荷物を何も持ぬままエレナは慌ただしく部屋を飛び出し廊下を走り、同時に最寄りの主要駅まで行くための無人タクシーを呼び寄せる。腰を落ち着けてルートを調べるような余裕はない。食事も移動中に済ませるしかないだろう。
『交通費は後で精算する。では現地で会おう』 「ええわかりました行きますよきっちり時間通りに集合しますよ!」 『そうしてくれ』
あとは、そうだ、今日は試験があった。午前中に四科目と午後一番のタイミングで更にもう一科目、合計五つの試験を受けなければならない。だが通信環境さえあれば教室以外でも一応試験を受けられる。つまり集合時間に間に合う道筋を今からどうにか探してチケットを手配し交通機関を駆けずり回りながら意識を集中して問題を素早く解いていけばいいだけの話だ。やってやれないことは……ないかもしれないが、かなり無茶があるのではなかろうか。
(本当に集合場所を変える必要なんてあるわけ? いや、ないでしょ、絶対にないでしょ嫌がらせでしょこれ理不尽なことに慣れさせようとか思ってるだけじゃないの!?)
実のところその通りであった。もし田中に向かってそう言えば“他に理由があるとでも思うのか?“と返されていたに違いない。かといって指示を無視することはできない。ヴァルキリーとなった以上は与えられる命令に従う義務がある。だが、その義務を抜きにしてもエレナは与えられた課題を放り投げる気はなかった。無茶を言われるのは嫌いだが、挑みもせずに逃げるのは更に嫌いなことなのだ。
(なんとかなるでしょ多分っ……!)
早朝の寒空の下、白い吐息を吐き出しながら、公道で自分を待ち受けているであろう無人タクシーを目指してエレナは駆けた。 |