夢ソフト

■ School life ? (11)

「じ、仁義なき戦い……? 何ですかそれ……」

「一方的に戦いを始めることを、一部の人達はそう言うのよ」

                               ――美澤エレナと雨宮セシル

 

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相手は右も左もわからぬルーキーと聞いていた。勝って当然だと言われていた。ところが、どうだ。蓋を開けてみればこの有様である。牽制に努めて距離を取り、安全策に安全策を重ねた試合運びをしていたが、遂には敵の攻勢を許した。未だ致命的な隙を晒すには至っていないが、この後もそうはならぬと楽観することは最早できない。自分達の戦術は間違っていたと認めるべきではないのか。相手には此方を追い詰めるだけの能がある。そもそも安全ではなかったのだ。先程までは中距離までなら安全圏という認識を持っていたが、敵がこの距離でも此方を陥れる能力を有することが明らかとなった今となっては現況も既に危険域だ。このまま消極的な戦い方に終始していては遠からず敗れるのではないか。今ならばまだ間に合う。敵の攻勢を凌ぐ過程で減速余力こそ大幅に削られたが、他には何一つとして被害を受けてはいないのだ。自身の攻撃能力は十全に維持されている。であれば立ち向かうべきではないのか。心の天秤が激しく揺れ動く。

青いフレイムリリーがエレナの表情を見る。不遜な顔付きだった。少なくとも青いフレイムリリーにとってはそう思えた。攻撃を避ける時も、危地を切り抜ける時も、攻勢を仕掛けてきた時も、そして今もだ。そんな奴のどこがルーキーだ? 認めよう。相手は強敵だ。此方の柔弱な戦術を食い破る力を持った侮り難き敵手である。

(仕掛けて、潰す……!)

事ここに至り青いフレイムリリーが決断する。もう安全策は使えぬと悟った故の、追い詰められた窮鼠の如き決心である。敵は三度に渡る攻撃を行った直後であり、すぐには追撃を行えまい。今ならば次の応酬での先手を取れる。先に撃ちさえすれば主導権を取り戻せる。そうして敵に回避を強いて、矢継ぎ早の攻勢で詰めるのだ。攻撃を行った後のヴァルキリーというのは迎撃を行うのも難しい。敵はまさかこれ以上の武装を積んではいまい。火球に爆弾にカッターと、全ての武装で力か技の乗った射撃を行ったからには次弾を練り上げる余裕も乏しい筈だ。仕掛けるのならば今この時をおいて他にない。敵の攻勢を凌いだ直後こそ反転攻勢に打って出るべき戦機である。それはセオリーにも適った行動だ。心は定まった。己の決断に従って青いフレイムリリーがこの急場で組み上げたプランを実行に移し始める。だが、その決断と行動こそが、敵手である美澤エレナが何よりも望んでやまぬ好機であった。

 

 

……不意打ちにも様々な種類がある。中でも最も効果的なのは言うまでも無く敵が己の存在を察知していない状況からの奇襲である。仕掛けられた側は既に戦いが始まっているという認識すら無い状態で攻撃を受けるのだからたまったものではない。だが試合中に同様の不意打ちを行えるかといえば不可能に近い。試合に臨む者はそれが開始された時点で戦闘をしているという認識を持っているのだから当然だ。死んだふりという奇策を弄して試合が終わったと思い込んだ間抜けを背後から討ち取った例というのもヴァルフォース数十年の歴史に於いて皆無ではないのだが、流石にそれは万に一つのレアケースとして脇に置いてもいいだろう。但し実戦にあってはこの手の不意打ちが頻繁に発生している。この世に存在するヴァルキリーの内、結構な割合が一部のエース達による完全奇襲によって命を落としているのだ。

では一方的に戦闘を始める類の不意打ちこそが最上であるならば、次善は果たして如何なるものか。これも明白である。敵手の前から姿を隠し、然る後に襲い掛かるのが最上に次ぐ不意打ちと言えよう。戦闘を行っているという認識があれど、姿の見えぬ敵を相手に有効な防御を行うのは相当に厄介だ。上下左右何処から来るか判らぬ不可知の攻撃を防ぐのは正に至難の業である。そしてこの不意打ちを実行する側に求められる能力は当然のことながら隠密の技だ。しかしヴァルキリーを相手に真正面での察知を許さぬレベルの隠密を成すというのは、たとえヴァルキリーであろうとも難しい。無装備の人間が相手であれば熱光学迷彩の一つも着込めば充分に姿を隠せるが、ヴァルキリーが相手となると話が別だ。自分の存在を認識させないという精神操作や、次元の狭間を潜行するという手段などによってヴァルキリーを欺く機体も確かに存在するのだが、これらの能力を行使するには非常に高いコストを必要とし、そもそも通常の機体では試みることすら不可能な能力である。つまり標準的なヴァルキリーにとって試合中に敵の目の前から完全に姿を消すなどという技は現実的な選択肢として存在しないのだ。

最上は元より行う余地が無く、次善も能力的に不可能となれば、美澤エレナに唯一可能なのは相手の意に在らぬ挙動で仕留めるという不意打ちだ。ヴァルキリーとて人間には違いなく、そして人という生き物は万能ではない故に予断を持って事に当たり、あるいは起こり得る出来事を見落とすのである。

 

 

 

(            ――――――え?)

何が起こったのかわからなかった。そして青いフレイムリリーは目の前で起こった出来事を理解するのに数瞬を要した。つい今し方に自分は決断したのだ。何をだ。そう、敵手である赤いフレイムリリーに真正面から攻撃を浴びせて打ち倒すことを決断したのだ。そのために自分は身を翻して急制動を掛け、万全の射撃体勢を取ろうとしていた。

………だというのに、何故、あの赤いフレイムリリーは、こちらに向かって弾丸のように飛び出しているのか…………?

完璧なタイミングだった。青いフレイムリリーがエレナへの攻勢を決断し、それを実行に移そうと初動を起こした正にその瞬間に、エレナは青いフレイムリリー目掛けての突撃を開始したのである。その踏み込みに迷いはなく、エレナは脇目も振らずに地を駆ける。青いフレイムリリーが事態を飲み込むのに要した僅かな時間だけで、互いの間合いは近距離と呼べる程度にまで縮まっていた。

(嘘、嘘、嘘――――、何よ何よ何よそれ!?)

青いフレイムリリーが動揺も露わに恐慌をきたす。敵の全速力による走行は見積もっていたよりも更に速い。そして青いフレイムリリーは自分が重ねて詐術に掛けられていたことを理解した。この長い模擬戦の間、エレナはどんなに苦しい時も自身の機動能力を九割程度に抑制していたのである。誘導弾に追い回され、着弾寸前に飛び下がって逃れるような時であってもだ。平時は己の力を低く見せて欺き、肝心な場面で敵の予想を外すのは騙し合いにおける定番の一つである。

(三歩、二歩、あと一歩………―――入った!)

敵に殴り掛かるには僅かに遠いが、当初の目安としていた距離まで近付くことに成功したエレナが快哉を上げる。不意打ちは成立だ。中距離と近距離を隔てる壁という、敵が逃げ腰なれど万全の態勢で待ち構えていたならば絶対に突破できなかったであろうラインを超えたのだ。だが、その為にエレナが支払ったリソースは膨大である。まずもってエレナはこれ以上の射撃ができない。多少の時間を置けば牽制のシングルショット程度は放てるだろうが、再び大技を放とうとすれば暫くの間はひたすら逃げ回って時間を稼ぐ必要がある。そしてこれは相手も同様であったが、ヴァルキリーの基礎能力たる減速余力も既に枯渇寸前である。しかし先程から青いフレイムリリーに対して一方的な三連撃でペースを握っていたエレナが、一体どこで余力を消費していたのか。

(相手の表情、読んで読んで読みまくった甲斐があったわよ!!)

そう、全て相手が心変わりを起こす瞬間を見定める為に費やしたのだ。足元に飛んできたカッターを青いフレイムリリーが側宙で回避し、地面に着地してからエレナは絶え間なく強度の減速を掛け、相手の表情を注視していたのである。なにせ試合の前に緊張を表に出すような相手である。そんな奴が窮地に陥りでもすれば目が口ほどに判りやすく物を言うに決まっている。そうしてエレナは相手が反転攻勢を決意した瞬間を掴み取り、寸分も過たずにタイミングを合わせて突撃したのだ。青いフレイムリリーが事態を飲み込めなかったのも無理はない。それまでの安全策を打ち棄てて、いざ中距離での本格的な射撃戦を覚悟した矢先に予想を超える速度で突破を図ってきたのだ。即ち完全に出鼻を挫かれた格好である。

常人には成せぬ技である。天啓や偶然に因らずに敵の機先を一分の狂いもなく完全に制するなど武人が生涯を費やした修練の果てに辿り着く領域だ。ヴァルキリーとなったエレナも当初は自分にそんな事が可能などとは思ってもいなかった。しかしヴァルキリーの性質についてより多くを知る内に、エレナはそれが充分に成し得る技であることを理解した。そもそも現代にあっては通常のテクノロジーだけでも人が次にどのようなアクションを起こすかを予測するのは可能なのだ。発汗、呼吸、表情筋、瞳孔、視線や身体の傾きなど、人体の様々な部位や微細な動きを分析することで相手の心理状態を判断するソフトウェアは既に巷に溢れている。それらは高性能なセンサー類と組み合わさることで暴力的な効果を発揮し、今や特定分野の活動に携わる者達には必須の装備となっていた。ならばヴァルキリーでも同様の事が出来るのではないかと思い付いたのが発端だ。そして何度か試しに周りの学生達を相手に次の動作を読んでみればこれが実に上手くいく。高度な集中こそ必要ではあったが、そのあまりの精度の高さにエレナは自分自身が機械か何かにでもなったかのような錯覚を覚える程であった。

だが、それはともかくとして、目下の状況は青いフレイムリリーにとって窮地である。一瞬前に中距離での撃ち合いを前提とした行動を起こしたというのに、今や相手はその間合いを踏み越えているのだ。

(……退がるべき?)

青いフレイムリリーが自問する。すぐ後ろが壁に遮られているわけではないのだ。後退する余地はある。いや、無い、無い、それは無い。今この状況でそんなことをする馬鹿がどこにいる。この期に及んで後ろに退がって何をどうしろというのだ。間もなく壁際へと追い詰められて更なる危機を招くだけだ。

(ぶっぱなすしかないじゃないのよッ!)

構えたライフルをエレナに向けて照準し、青いフレイムリリーが渾身の一発を撃ち放つ。それは敵の前進を阻止すべくチャージしていた大技だ。これが当たればまだ可能性はある。直撃すれば敵は怯み、一瞬とはいえ動きが止まる筈なのだ。その隙に次弾を叩き込むか、あるいは距離を取って仕切り直そう。今の状況ならば必ず当たる。自分に向かって一直線で突撃してくる敵が標的なのだ。しかも近場とあっては外れるわけがない。全力で走っている敵に可能な回避行動といえば勢いに任せて前方へと跳躍することぐらいであろう。故に狙いをやや上向きにして撃った。敵がそのまま走り続けるようであればエネルギー弾は敵の喉元を叩く。跳ぶようであれば必ず脚部を強打する。いずれにせよ敵の動きを止めるか阻害するには充分だ。

……それは一般論としては正しい見込みかもしれないが、状況は既に詰んでいる。青いフレイムリリーは更に考えるべきであった。周到に準備を重ねて策を弄し、無闇矢鱈と近付かず、慎重に戦機を窺うような難敵が、ここに至って来ること確実な一発での逆転を許す筈がない。青いフレイムリリーが真に行うべきは、いっそライフルを捨てて抜剣し、最早避け得ぬ白兵戦に自ら挑み掛かって間合いを制するような行動であった。そうすれば機体の仕様と互いの技量を差し引きして五分五分の勝負には持ち込めたであろう。だが、今や全てが手遅れである。