■ request ■
『言い訳など聞きたくはないな。片腕が吹き飛んだくらいでお前は死なない。我慢して反撃しろ』
――リッチモンド卿、柏木クルルへの指示
---------------------------------------------------
「……負けちゃった、か」
気を失っていたアヤカが目を覚まして最初に目にしたものは突き抜けるような青空だった。
「立てます?」
アヤカが気絶していた間に傍へと近付いていたセシルが声を掛ける。
「そんなに柔な身体はしていないわよ、っと……」
仰向けの状態から身体を起こし、調子を確かめるように二度、三度と腰を捻り肩を回す。
「……こうして話をするのは初めてかしら?」 「そうですね。今日みたいに完全に隔離された場所で貴女と試合をしたことはなかったですし」
つい先程まで死闘を繰り広げていた二人だが、お互いに怨恨を抱いている間柄ではない。試合が終了したことで世間への映像中継も既に終了している。立場こそ違えどヴァルキリーの娘という点では同じ境遇にあり、言葉を交わすことに二人とも違和感はなかった。
「うーん……やっぱり年頃の子は成長が早いわねえ」
目の前に立ったセシルを爪先から頭の先まで眺めてからアヤカが唐突な感想を漏らす。
「何ですか突然」 「貴女と最初に試合をした頃を思い出しただけよ。あれから四年……いや、五年かしら?」 「だいたいそれくらいかと。月影さんは……あまり変わりがないですね」 「そりゃそうよ」
成長期はとうに終え、機体も同じ物をずっと使わされているアヤカである。セシルから見たアヤカは全く昔のままだった。
「ところで……最後のアレ、使っていい物なの?」 「よくないですね。色々と追求されることになりますし」 「でしょうねえ。あんな物を見せられたら誰だって斑鳩セツナとの関係を疑うわ。公の場で使ったのはまずかったわね」 「これっぽっちも関係ないですよ?」 「はいはい」
セシルの白々しい言葉をアヤカが軽く受け流す。元から正直な答えなど期待はしていない。
「月影さんは……美澤エレナという子はご存知ですか?」 「一応はね。試合の様子なら何度か見たわ。貴女のところだと一番の有望株なんじゃないの」 「ええ」 「その子がどうかしたわけ?」 「もし、彼女がそっちに行くことがあれば……面倒を見てあげてくれませんか」 「……頼む相手、間違えてるんじゃない」
アヤカの表情がやや緊張したものに変わる。セシルの言葉はエレナが国を捨て逃れる可能性を示唆したものだ。ヴァルキリーの歴史とは、過酷な扱いを受ける少女達が自分の居場所を求めて彷徨い続けた歴史でもある。今や伝説となった七姉妹のようなケースに限らず、近年でも逃亡や引き抜きの例は枚挙に暇が無い。彼女達をいかに制御するかはヴァルキリー運用上の重大事項だった。
「エースではあってもただの小娘に過ぎない私と違って、貴女は国内でも確固たる立場を持つ英雄です。引退後も軍に残る意向だと聞いています。それに貴女の叔父様は最近まで将軍を勤められていた。まさか何のコネも力も無いとは言わせませんよ」 「そんなに大したものでもないけどね……それよりも、これ、聞かれている恐れはないわけ?」 「ありません。私は事情によりノンサイバーです。地面に設置されている試合中継用の集音マイクも近場のものは試合のどさくさ紛れで破壊しました。今の私達の周りに無いことは確認済みです」 「私と戦いながらそんなことしてたわけ? 呆れた……」 「時間はたっぷりありましたから。着地の際に力一杯踏んづけたり、ブースターの噴流を直射したり」 「観測所の二人は?」 「見たところドライブモードに入ってもいないので大丈夫でしょう。監視と警戒をまともにする気もないようですし。感応型の会話を始めれば盗聴を試みてくるかもしれませんが……小声で唇を読まれないようにしていれば心配はないかと」 「まあ……やる気ないわね、あれ」
遙か遠く観測所の屋上では片方の娘が相変わらず立ったまま眠っており、もう片方の日傘を手にした幼い少女もつられて欠伸を漏らしている。文字通り子供のお使いとしか言いようのない姿であった。
「オービタル・クインテットの弱点は戦うしか能がないボンクラ揃いなことですから。まともな引率がその場にいなければ猫の手にも劣ります」 「辛辣ねえ。……とりあえず貴女の申し出については考えてあげてもいいけれど、手土産はあるわけ? 空手じゃ私だって何も出来ないわよ」 「それなら、ここに」
セシルが試合の邪魔にならぬよう結い上げていた髪を解く。砂埃で多少汚れてはいるものの、透き通るような黄金色の髪が背中に大きく広がった。傍目にはただそれだけの所作にしか見えなかったが、セシルはその仕草を隠れ蓑にして髪束の中に括り付けていた小さなチップを掌に収めていた。
「私が死ぬか、それに準ずるような出来事が起きた場合は数日でパスを解除できる手筈になっています」 「中身は?」 「個人的に知っている様々な事柄と、あとは現金ですね。戦車くらいなら買えますよ」 「流石に真州のエースともなれば稼いでるわね……」 「扱いには気を付けてください。一番大きなものだと逆鱗の突き方が入っています」 「それはまた……とんだ爆弾じゃない。そんなことまで知っているのなら、宝鏡メイを頼るとか、インテグラルにでも駆け込んだ方がマシなんじゃないの」 「……人が最後に信じられるのは人間だけです。そうでなければ、わざわざ縁の薄い貴女を頼りはしません」
呟くセシルの碧い瞳が昏い色を帯びる。
「雨宮さん、目が怖いわよ。試合の時ですらそんなに真剣な顔はしてなかったんじゃない?」 「……すみません」 「で、その美澤エレナが逃げ出す可能性って正直なところどの程度かしら?」 「私がいなくなれば、いつかは確実に。それも含めて二年以内で五分五分と見ています」 「今日明日の話しではないってわけね……」 「はい。ですから今回の件は、私にとっての保険と思っていただければ。逃げ場所は多い方がいいですし」 「成る程ねー……ま、いいわ。もう私は前線に出してもらえないし、当分生きていられるでしょうから、もしそういうことになったら力は貸してあげるわよ」 「感謝します」
二人の合意が成立した頃、試合場の東西から丘を超えて騒音と共にアヤカとセシルを迎えに来た二機のヘリが姿を現す。
「そろそろお別れのようね」 「みたいですね」 「貴女の手の中にあるものは、どうやって受け取ればいいのかしら?」 「お互いの健闘を称えて、握手でもしましょう」
セシルが悪戯っぽく微笑む。その提案にアヤカもまた苦笑いで応じた。
「そういうのも……まあ、たまにはアリね」
ヘリが砂埃を巻き上げながら、二人からやや離れた場所へと着陸する。迎えに来たスタッフが搭乗を促す声を背に、アヤカとセシルが右手で握手を交わす。
「負けていい試合ではなかったけれど……楽しかったわよ」 「こちらこそ。次も負けませんから」
他に目的があっての行為だが、二人の唇から漏れた言葉は掛け値無しの本音であった。その間に目論見通り、セシルが手にしていた小さなメモリーチップはアヤカの指先へと滑り込み、受け渡しが成されたことを確認してからお互いに相手の掌を解放した。
「頑張りなさいよ」 「はい」
その言葉を最後にして、二人が背を向け迎えのヘリの方へと歩き出す。しばらくして二人を収容したヘリは離陸を果たし、再び丘を超えて遠くへと飛び去って行った。
---------------------------------------------------
「結局、斑鳩セツナは現れなかったわね」 「ぐうぐう……」
観測所の屋上に佇む幼い少女が日傘を畳み、足元のケースへと仕舞い込む。
「あの二人もいなくなったし、これでお仕事は終わりっと。さ、私達も帰りましょう?」 「……ぐう、ぐうぐう」 「え? 他の人達に帰りの挨拶? しなくていいわよそんなもの」 「ぐう……」 「行きは私がエリカを運んであげたんだから、帰りはエリカの番よ。ほら、はやくドライブモードに入りなさい」 「ぐう、ぐうぐう、ぐう……」
眠ったままの少女が抗議するように首を左右に振る。
「え? あれは朝のプリンの貸しを返してもらっただけ? こまかいわねえ……なら、じゃんけんで決めましょ」 「ぐうぐう」
今度は首を縦に振り、持ち掛けられた勝負に承諾の意を示す。
「いくわよ? じゃーんけーん……ぽん」 「ぐう」
チョキとチョキ。引き分けである。ぐうぐうと言うわりには最初にグーが出てくることはなかった。
「……引き分けね」 「ぐうぐう」 「ならもう一回よ! じゃーんけーん……」 「ぐう」
パーとパー。また引き分けだった。
「エリカ……まさかとは思うけど、私の心を読んでない?」 「ぐうぐうぐう」 「え? し、してないわよ。ユーラはレディーだもの。エリカの未来を読むだなんて、そんなインチキはしてないわよ」 「ぐうぐう……」 「え? 語るに落ちたとはまさにこのことって? うううぅ……いいわ、そっちがその気なら白黒つくまでやってあげようじゃない!」 「……ぐうぐう」
望むところだとばかりに睡眠顔の少女が鼻提灯を収縮させて意気込みを示す。
「じゃーんけーん……!」 「ぐう」
戦いは日が落ちるまで続き、幼い少女は後日おしりぺんぺんの刑に処された。 |