■ sign of force ■
「この世界はな、連中のような怪物どもを、即ち異物を排出したくて仕方がないわけだ。 ならばその願いに応えて異物を叩き出し、依存物質を断ち切ることを、正義と呼ばずに何と言う?」
――斑鳩セツナ、リクルーティングの際に
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場所は北方、陽春の季節。相変わらず空調設備は不調だが、特に不快とは感じぬ官舎の一室で、幾人もの娘達が面白半分に遙か遠くの大陸で行われている試合の中継を眺めていた。
「プ、美澤のやつ手も足も出ねえでやんの」
「一応出してるじゃん? 全く当たってないだけで」
「そういうのを手も足も出ないって言うんじゃないの?」
「ねー、今日のお昼ご飯どうするー?」
「あたし街まで出て食う」
「あ、なら私も行くー」
「あんたら試合見てるんじゃないの?」
「いやー、もうすぐ終わるだろこれ。美澤ざーまあー!」
「どうしてそんなに嬉しそうなのよ……」
「新型使ってる奴が嫌いなんでしょ。西部戦線でも柏木に殺され掛けたし、新型機って聞くだけで憎しみの炎が湧いてくるのよこいつ」
「うるせーよ本当のこと言うなよ! そーだよあたしゃ新型ってもんが嫌いだよ! 全部滅びろ!」
「六堂の使ってる武器のほうがよっぽど凶悪だと思うんだけどなあ……」
「じゃあウチの国が新型を配備したらどうするの?」
「喜んで使っちゃうね!」
自分の暴論を気にすることもなく、問われた娘は親指を立てて満面の笑顔で答えた。
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美澤エレナと六堂マリアの初顔合せの試合は、誰しもが予想した通りマリアの一方的な優勢で進行していた。既にエレナの被弾は数え切れぬものとなっており、対してマリアは掠り傷一つとして負っていない。それでも勝敗の行方を慮外とすれば、健闘をしているのはむしろエレナの側であった。
(これで、わかってるものは全部―――!)
真正面から高速で飛来してきたマリアの羽を拳で迎え撃ち、一瞬の拮抗を経て弾き飛ばしたエレナが内心で叫び声を上げる。勝利など到底望めぬ試合において、せめて判明している手管は全て凌ぐとエレナは己に課していた。浮遊する誘導弾による包囲、右手から射出される各種の光線、羽から繰り出される多用な波状攻撃などマリアは様々な攻撃手段を有していたが、公の場で明らかにされているものについては遂に全てを耐え抜くことに成功したのが今この瞬間であった。
「あー……しんどい」
エレナが振り抜いた拳をゆっくりと戻して額の汗を拭う。試合の最中にしては随分と緩んだ動きだが、今し方の羽による吶喊はマリアの攻勢における最後の一撃というべき物だった。事実、周囲の誘導弾は一掃されており、羽も全てが帰還してマリアの背後に待機している。本来ならばこのタイミングでマリアに向かって突進するべきなのかもしれないが、闇雲に近付いてもいいようにあしらわれることをエレナも弁えていた。
「さーて、これであんたの攻撃は全部見切ったわよ!」
背筋を伸ばし、仁王立ちの姿から片手を上げてビシィとマリアを指差しする。指差す瞬間に腕部のユニットで空気を振動させ、本当に効果音を鳴らすという無駄なパフォーマンスも加えるあたり芸の細かい所作である。なんとも馬鹿馬鹿しい行為ではあったが、ヴァルフォースが政治的決闘であると同時に興行的な性質も含む以上はそれほど咎められるべきものではない。
「……そうなのですか?」
距離を置いて正面で浮遊するマリアが微かな驚きの表情で反応した。
「そうよ」
エレナが力強く首肯する。勿論大嘘である。仮に見切っていたとしても、同じパターンで攻勢を続けられてはいずれ体力が尽きるのは自明の理だ。それはエレナにとって最悪の展開である。既知の攻撃を全て捌くという目的を達した以上、いつかの再戦に向けて少しでもマリアの手管を多く引き出そうというのが今のエレナの目論見だ。
「それは困りました。どうしましょう」
掌を頬に当ててマリアが考え込む。
(うーわー、この子本当にアホなんだ)
試合の直前にセシルから受けたアドバイスが真実正しかったことを確認し、エレナはなんとも言えぬ気分となった。マリアに勝てないのであれば、どうすればより多く手の内を開陳させられるかセシルに相談した結果、エレナは二つの助言を与えられていた。一つは、マリアは神の奇跡を体現する者として常に圧勝しなければならないという事情を背負っていること。もう一つは、マリアは掛け値無しのバカ、もとい純真だということである。即ち適切なタイミングで挑発をすれば必ず乗ってくるのだ。
「では、少々お待ちいただけますか?」
「いいわよ。必殺技でもなんでも準備しなさいよ」
指先をくいくいと動かし、いつでもこいと強気のジェスチャーを見せる。
「けど、できればあんまり痛くないやつがいいんだけど……」
「何か仰いましたか?」
「いや何も」
「そうですか」
マリアが瞑目する。エレナとしてはマリアの準備に時間が掛かれば掛かるほど有り難かった。先程、マリアの攻勢を防ぐ過程で誘導弾の迎撃やマリア本体への牽制でこれでもかとばかりに射撃を重ねたことで相当の疲労が溜まっている。挑発した手前、強気な姿勢を保ってはいるが、いつ膝に手を置いても仕方がない程度には消耗していた。
「……申請が通りました」
閉じていた目を開いたマリアがエレナに呼び掛ける。
「野蛮な方には、野蛮な仕打ちが相応しく、滅茶苦茶にするべき……だそうですよ?」
「あーはいはい、カミサマの寝言なんてどうでもいいからさっさと来なさいよ! なんでも受けて立ってやるわ!」
エレナが半身に構えて両脚に力を込める。どのような攻撃が飛び出すかわからぬ以上、できることと言えば咄嗟に動けるように備え、己を鼓舞することくらいである。
「一時的な権限の昇格により、私が世界となりました。ですので―――」
マリアが流麗な所作で右手を天に掲げる。その仕草に伴い、マリアの傍では仄かな紫電と共に新たに六枚の羽が顕現した。
「ちょっと増やしてみます」
「うん、増えたわね……少し………」
「それでは、あなたに裁きを」
言うが早いか新たに加わった六枚の羽がマリアの眼前で円環状に展開する。マリアが天に掲げていた右手を地面と水平にさせ、環の中心部に指先を沿えた瞬間、背丈程の太さを持った光槍がエレナに向かって勢い良く撃ち出された。
(何よそれ!?)
遠慮無く放たれた大威力の光槍をエレナが横っ飛びに回避する。どう見ても食らえば試合終了間違い無しの攻撃である。全力での回避行動を選ぶことに迷いはなかった。そして着地と同時に再びマリアを視界の正面に捉えたエレナは、それまでの常識では到底理解できぬものを見た。
「えい」
気の抜けた掛け声と共に、ほぼノータイムで同じ攻撃がマリアの指先から繰り出される。
(どうしてそんなもんが連射できるのよ!!)
「えい、えい、えい」
エレナが跳躍して移動する度にマリアが腕を僅かに動かして照準を合わせ、立て続けに光槍を発射する。だが射撃の回数が二十を超えたところで発射音はひとまず鳴り止み、マリアが静かに腕を下ろした。
「なかなか当たらないものですね」
マリアの表情には変化が無く、呼吸のリズムも乱れてはいない。全く普段と同じように泰然と浮遊し続けていた。
「そんなわかりやすい攻撃なんて当たるわけないでしょ」
威勢良く口にはしたものの、エレナの顔は畏怖で引きつる寸前である。そして事ここに至り、エレナはセシルの言葉を理解した。
―――無理だもの、あれを倒すだなんて
目の前の少女とその武装はヴァルキリーという範疇に収まるものではない。おそらくエレナがどれだけ手を尽くしたところで、マリアは変わらぬ調子のまま平然と応じてのけるだろう。
(でも、だったらそれはそれで構わないわよ!)
エレナが意を決して前傾姿勢を取り、マリアに向かって全速力で疾駆する。もう物分かりの良い時間はお終いだ。所詮は試合である。命まで取られるわけではない。当たり所が悪ければ再起不能に陥るかもしれないが、それは逃げに徹しても同じことだ。眼前の敵は常識が通用する相手ではない。マリアの引き出しをどれだけ探ったところで、おそらく全てを明らかにすることは不可能だろう。このような手合いと対峙した時に求められているものは、何をされようとこちらも全てに応じて見せるという気概であることをエレナは悟った。
「えい」
駆け出してきたエレナを迎え撃たんと、相変わらずの暢気な掛け声でマリアが再び光槍を射出する。先程と変わらぬ威力を保った光芒が迫り、回避が間に合う限界の距離で、エレナは横ではなく前方に勢い良く跳躍した。
「っ……!」
跳んだエレナの真下を光槍が通過する。だが滞空時間の長い跳躍は明らかに悪手である。余程の空中機動性を持った機体ならば浮いたままブースターを勢い良く噴かすことで更に飛び跳ねることもできるが、今のエレナは前方宙返りの要領で宙を舞っていた。脚部加速器の噴射口は真上を向いておりそれどころか背中までマリアに晒している有様だ。
しかしマリアが無防備なエレナの背に向けて二の矢を準備していた時、エレナが両手に青白い炎を纏わせ、今まさに真下を通過している光槍へと叩き付けた。
(捉えたっ……!)
十指と掌に渾身の力を込めて、実態無きエネルギーの固まりである光槍を手で叩き、腕力を恃みとして再び前方に跳躍する。一足では到底縮まることがなかったであろうマリアとの間合いを一気に詰め、空中で完全に一回転を果たしたエレナが跳び蹴りの態勢でマリアに襲い掛かる。
そしてエレナの脚がマリアの顔面に突き刺さろうとする直前に、エレナは一瞬先の未来を確かに視た。
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試合は終了した。しかし官舎に集っていた娘達は、試合の終盤にマリアが見せた挙動を目にしたことで誰もが言葉を無くしていた。
「今の、なに……?」
「美澤の跳び蹴り、あれ完全に当たってたでしょ?」
「リプレイだリプレイ! もう一回見るぞ!」
声の大きい娘が自分の端末を操作して、試合終了間際の様子を机上に投影する。
「うん、美澤がごんぶとレーザーを宙返りで避けて……」
「そして太巻きビームをそのまま手でバーンってしてぐわっと近付いたと」
「この時点でやってることが頭おかしいと思うんだけど。あんなもん触ったら腕もってかれるんじゃないの?」
「美澤のフレイムリリーだからできたんだろ。白兵戦の時と同じ光が出てたし」
「んで跳び蹴りの姿勢で六堂に向かって行って……」
スロー再生の立体映像が更に速度を落とす。
「ここで六堂が移動した」
「ギリギリ触れてはないね」
「これ……つまりあれか? 六堂が自分の羽と位置を入れ替えたのか?」
「それ以外にないでしょ。端っこの一枚が六堂になって、その一枚が美澤の前に出てきてるんだもん」
エレナの脚がマリアの前髪に触れるか否かの瞬間に、マリアの身体が消え失せ、入れ替わりに羽の一枚がマリアが元居た場所へと現れる。次の瞬間、エレナの脚と接触した羽は形状を変形させてエレナの脚に絡み付き、蹴り飛ばされることもなく空中で位置を固定していた。
「そんで美澤が半ば宙吊り状態で拘束される、と……」
羽と位置を入れ替えたマリアはエレナに背を向けたままその場を離れて行く。エレナを拘束している羽を除いた残りの十一枚は再び環になって一つの砲口を形成し、動けぬエレナに一層太さを増した光線を真正面から叩き付けた。
「すごいねこれ……」
「羽に掴まれていた美澤がすっぽ抜けて……どこまで吹っ飛んだのかな」
「んー、拡大しても見えない」
「つまり地平線は越えたと……」
「わはは、場外ホームランだ場外ホームラン」
乾いた笑いであった。
「……さて」
誰もが再び沈黙した頃を見計らい、一人の娘が気を取り直したように椅子から立ち上がる。
「こんなの見なかったことにして飯食いにいこうぜ!」
「あ、うん、賛成ー」
「出るの少し遅れたからこの時間だと沈沈亭は満席じゃない?」
「そんときゃカレーハウスニトロでいいじゃん」
「わたし辛いのやだよ」
「そういえば教官っていつこっちに戻ってくるの?」
「んー、来週じゃなかった?」
「明後日には戻るって聞いたよ」
立て続けに何人もの娘が腰を上げ、口々に雑談を交わしながら部屋の外へと出て行く。都合の悪いことからは目を逸らし、棚上げする術を実に心得ている少女達であった。 |